弘前城

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【天守閣】重要文化財 この天守閣が他の天守閣と違うのは、堀側と郭側では雰囲気がまったく違う点です。裏側には破風がありません。 |
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【追手門】重要文化財 三の丸南端にある城門です。 |
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【辰巳櫓】重要文化財 隅櫓の屋根は、いずれも栩葺と呼ばれる板葺です。栩葺は、長さ90センチほどの板を、20センチ前後の葺足で重ねて葺く方法です。 |
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【堀】 弘前城には外堀、中堀、内堀、蓮池、西堀が残っていますが、なかでも幅広く美しい西堀沿いには桜の木が植えられています。 |
【解説】
1571(元亀2)年の南部家家督騒動の際、藩祖津軽為信は南部家より離反。
1575(天正3)年には大光寺城を攻略するなど、南部勢力を津軽より一掃しました。
また豊臣秀吉より津軽領を安堵され近世大名津軽家が誕生しました。
その後、 嫡子信枚が為信の意思を引き継ぎ城郭を整備。
天守をはじめとして隅櫓8基、城門12門などその家格をはるかに超えた城郭が完成されました。
その後津軽氏は、領地替えもなく明治維新を迎えました。
弘前城は、堀、土塁、城跡を残し、建物も東北で唯一天守を構えているほか、3棟の櫓、5つの城門が現存し、いずれも重要文化財に指定されています。
【データ】