長浜城

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【天守閣】 三層の模擬天守が建てられ、中は資料館となっています。 |
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【天守閣2】 1575(天正3)年秋頃には、秀吉は小谷から今浜城に移り、地名を「長浜」と改めて1582(天正10)年まで在城しました。 |
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【豊公園】 豊公園(ほうこうえん)は長浜城本丸跡を中心に整備された公園で、同城城主であった豊臣秀吉公にちなんで名付けられました。 |
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【遠景】 「秀吉の長浜城」を再興しようと言う市民の熱望によって、天正期の城郭を想定し建築されています。 |
【解説】
1575(天正3)年に羽柴秀吉が入城し、長浜と改名する以前は今浜城とよばれていました。
今浜に最初に城を築いたのは京極道誉でした。
信長の死後、清洲会議で長浜は越前・柴田勝家の領地となり、勝家は甥の柴田勝豊にこの城を任せますが、冬の積雪で越前から動けない間に羽柴秀吉に落とされて、近江進出の足がかりを無くしてしまいます。
清洲会議の後、柴田勝豊、山内一豊が城主となり、関ヶ原の戦後に内藤信成が城主となった後、1615(元和元)年の一国一城令で廃城となり、内藤氏は摂津高槻に移りました。
【データ】
- よみ:
- ながはまじょう
- 所在地:
- 滋賀県長浜市公園町
- 別名:
- 今浜城
- 建造物:
- 平城・模擬天守