忍城

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【自然の要塞】 戦国時代、さまざまな戦いに耐え、石田三成の水攻めにも屈しなかったことで有名です。 |
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【郷土博物館】 忍城本丸跡に「行田市郷土博物館」という忍城の櫓をモデルにした城風の施設があります。 |
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【鐘楼】 鐘楼の鐘は、松平忠堯が伊勢桑名より忍城へ国替となった際に持ってきた物です。 |
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【雪の忍城】 徳川の城となり御三階櫓が建てられ、10万石に相応しく修繕され、歴代城主には親藩か譜代大名があてられました。 |
【解説】
城は古くからこの地方を領有していた武蔵七党のひとつ児玉氏を、1469~86(文明年間)年に成田親泰が滅ぼし、1479(文明11)年頃には成田顕泰により築城されたと言われています。
1590(天正18)年、忍城は豊臣軍に攻められましたが、あまりの難攻不落ぶりに城攻めの主将石田三成は、主君豊臣秀吉にならい水攻めにしようとしました。
ところが、突然の豪雨により堤防が決壊し、落城を免れました。
このように自然の地形を生かした忍城は、関東随一の名城ということで譜代・親藩大名のみが城主となり明治に至っています。
忍城は城下町とともに広大な湖沼の中の島々に形成されていた水城で、関東七名城のひとつに数えられていました。
平和な世の中となった元禄時代に阿部氏が大修築を行い、本丸・二の丸・三の丸を配し、三重櫓、二重櫓、多聞櫓などが築かれ、近世城郭としての姿を整えました。
【データ】