高田城

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【三重櫓】 築城当初の櫓は二重の櫓でしたが、1665(寛永5)年松平光長の時代に地震で倒壊した際、三重の櫓に生まれ変わりました。 |
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【西堀橋】 外堀(西堀)を渡り、ブロンズプロムナードという散歩道を南へ行けば、一面の蓮とそれを貫く朱色の西堀橋が見えてきます。 |
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【遠景】 1993(平成5)年、高田城のシンボルとも言える三重櫓が復元され、内部には高田城の歴史に関する資料が展示されています。 |
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【石垣のない平城】 石垣が全くなく、三重櫓も土累の上に建っています。また幅の広い堀に囲まれているのも特色にあげられます。 |
【解説】
越後高田は、「雪の城下町」として名高く、かつての英雄、上杉謙信の春日山城の眼下に位置し、中越を押さえる絶好の所でありました。
1614(慶長19)年徳川家康の六男松平忠輝の居城として築かれた高田城は、本丸を中心に二の丸、三の丸と輪郭式の縄張をとり、外堀に囲まれた城域は南北1キロ、東西600メートルにわたっています。
平城の高田城には、他の平城と違った二つの注目すべき点があります。
ひとつめは、近世城郭の代表的な建築物とされている天守閣がなく、本丸南西隅の三重櫓となったことです。
二つめは石垣が積まれず、土塁と水堀が現在も遺構を留めていることです。
石垣のない平城は希で、時間的な問題があったため、築かれなかったと推定されています。
【データ】
- よみ:
- たかだじょう
- 所在地:
- 新潟県上越市本城町
- 別名:
- 鮫ヶ城
- 建造物:
- 平城・模擬御三階櫓