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日本には、古くに建てられた城郭が多く残っています。なかでも、大阪城(大坂城)の人気は絶大。大阪に行ったら一度は訪れたい観光地です。「百聞は一見に如かず」と言いますが、「聞」に相当する知識があるのとないのとでは、実物を「見」たときの楽しみ方や感動は全然違います。今回は知っているとより楽しめる大阪城(大坂城)の情報を紹介するので、ぜひ大阪城に行くときの参考にして下さい。

松本 イツキと丸岡 さくら
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2020年1月23日

大阪城(大坂城)の歴史と観光ガイド

大阪城(大坂城)の歴史と観光ガイド

日本史の登場人物で屈指の知名度と人気を誇る戦国武将「豊臣秀吉」(とよとみ ひでよし)によって築かれた、初代大坂城。豊臣秀吉のイメージが強く、現存する大阪城が江戸時代の大阪城を模して再建された物なのを知らない方は意外と多いのではないでしょうか。

日本有数の大都市・大阪にあり、7つの電車駅が近くにあるなど、立地の良さも抜群な大阪城。大阪城(大坂城)について事前に学んでから観に行けば、より大阪城を深く堪能することができるでしょう。今回は、大阪城(大坂城)の歴史重要文化財逸話などを紹介します。

大阪城の紹介動画

大阪城の紹介動画

大阪城(大坂城)の歴史

大阪城(大坂城)の歴史

1959年(昭和34年)の大坂城総合学術調査により、現存する大阪城は江戸時代に作られた物がモデルと判明しています。しかし、大阪城(大坂城)の歴史はそれよりも古く、現存の大阪城と同じ場所に豊臣秀吉が築いた城がありました。

豊臣の栄枯盛衰を目撃した大坂城

1496年(明応5年)、現在の大阪城がある場所に、山科本願寺の別院である大坂御坊が建てられました。1570年(元亀元年)に「織田信長」(おだ のぶなが)の襲撃で始まった石山戦争の舞台になった石山本願寺の起源が、この大坂御坊です。

石山戦争は1580年(天正8年)まで続き、石山本願寺の建物は全焼。織田信長死去の翌年、石山本願寺跡に築城を始めたのが、豊臣秀吉です。

豊臣秀吉の死から5年後の1603年(慶長8年)、「徳川家康」(とくがわ いえやす)が江戸で幕府を開きます。江戸時代に入っても天下掌握を諦められない豊臣家と徳川家の間に緊張状態が続くなか、1614年(慶長19年)に両陣営が対峙する大坂冬の陣が発生しました。

築城後、豊臣秀吉によって15年間を費やして難攻不落の城になったこともあり、徳川軍は大坂城に突入できません。しかし、講和条約によって大坂城は二の丸の堀まで埋め立てられてしまいます。

豊臣家によって掘り起こしなどの復旧作業を再軍備とみなした徳川家は、大坂冬の陣終戦から5ヵ月で戦を再開。これが大坂夏の陣です。1615年(慶長20年)5月、大坂城はついに落城し、豊臣家は滅亡しました。

大名や旗本らによって守られた江戸時代の大坂城

大坂夏の陣から4年後の1619年(元和5年)、大坂は幕府の直轄地になります。翌年には大坂城の再建工事を開始。大坂の町に再び大坂城が現れたのは、3代目将軍「徳川家光」(とくがわ いえみつ)の治世です。

築城工事では、建物は幕府の直営によって建てられ、堀や石垣など建物の周囲は諸大名64家が担いました。各大名によって出来栄えを競われた石垣には大規模かつ、高度で洗練された技術が見られるのが特徴です。

江戸時代における大坂城の城主は、歴代の徳川将軍。しかし、徳川大坂城を完成させた家光が訪れたのを最後に、幕末に14代将軍「徳川家茂」(とくがわ いえもち)が入城するまでの約230年間、将軍の足は大坂城から遠ざかります。その間、城代(じょうだい:城主が留守の場合に城を預かる者)や旗本たちの武士によって、大坂城は守られていました。

家茂が大坂城内で21歳の若さで病没すると、「徳川慶喜」(とくがわ よしのぶ)が15代将軍に就任。1868年(慶応4年)に鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗れると、慶喜は大坂城を去りました。天下泰平の世が終わる動乱のなか、主を失った大坂城は本丸台所付近から突然出火し、灰燼に帰したのです。

度重なる改修工事を経て府のシンボルになった大阪城

明治時代になると、大坂城の跡地は陸軍軍用地になります。明治維新の火災で焼け残った櫓や金蔵なども軍に使われ、観光客や市民は立ち寄れませんでした。

1928年(昭和3年)、第7代大阪市長の「関一」(せき はじめ)が大阪城の天守閣復興を提案すると、市民から寄付が殺到。大戦に向かう時代のなか工事は進められ、1931年(昭和6年)11月に豊臣・徳川の大坂城に続く三代目大阪城天守閣が竣工しました。近代建築による復興天守閣の第1号となった大阪城に採用されたのは、当時の最新技術である鉄骨鉄筋コンクリートです。

明治時代からの軍事施設を抱えていた大阪城は、第二次世界大戦で被災しました。1945年(昭和20年)の大阪空襲では、櫓などを焼失。終戦後に米軍の占領から解放されると、大阪城地は大阪市によって整備され、城内の建造物の修復など、官民挙げて戦後復興が行なわれました。

1995年(平成7年)~1997年(平成9年)にかけて、三代目天守閣の誕生から60年以上が経った大阪城では大規模な改修工事が行なわれています。新調する物は新調し、再利用できる物は清掃・修復のうえで再利用。外観を竣工当時に蘇らせることを目指し、耐震強化や身障者用エレベーターの設置など、建物の内側も改修され、大阪のシンボルとして多くの人に親しまれています。

江戸時代の面影を感じられる大阪城(大坂城)の重要文化財

江戸時代の面影を感じられる大阪城(大坂城)の重要文化財

大阪城がある大阪城公園は、敷地の約7割が「特別史跡大坂城跡」に指定されています。そのなかにある大坂城の遺跡のうち、国の重要文化財に指定されているのは13棟。重要文化財に指定されているものはすべて江戸時代に建てられた物です。これらは修理や再建が繰り返されながらも当時の姿をとどめ、江戸時代の建築を知るうえで重要な資料になっています。

5基の櫓(多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓)

13棟の重要文化財のうち、5棟は櫓が指定されています。

城の玄関である多聞櫓(たもんやぐら)は、江戸末期の1848年(嘉永元年)に建てられました。創建はそれより約220年前の1628年(寛永5年)ごろですが、1783年(天明3年)の落雷で焼失したため再建されています。

13棟の重要文化財で最も古いのは千貫櫓(せんがんやぐら)と乾櫓(いぬいやぐら)で、ともに徳川大坂城の築城工事が始まった1620年(元和6年)の創建です。ちなみに乾櫓には、桃山時代の手法が見られます。

一番櫓は1710年(寛永7年)、六番櫓は1708年(寛永5年)と、どちらも18世紀初期の造営。当時の大坂城には要所を固める隅櫓が7基ありましたが、現存するのは一番櫓と六番櫓の2基だけです。徳川大坂城の末期に造営され、同じ現存する櫓でも初期の千貫櫓や乾櫓とは違った特徴があります。

金蔵

金蔵(きんぞう)は、1625年(寛永2年)に創建され、1837年(天保8年)に改造されました。創建当時は二階建でしたが、天保年間の改造によって平屋建になっています。

特徴は、腰壁に施された生子壁(なまこかべ:四角い瓦を張り付けて、漆喰でその継目をかまぼこ形に固めた壁)。生子壁は防火や防湿に優れていて、金貨・銀貨の保管庫として金蔵は幕府に重宝されました。

金明水井戸屋形

金明水井戸屋形(きんめいすいいどやかた)は天守閣の入り口に位置しています。一個の石から作られた井筒で、豊臣秀吉にまつわる伝説があります。それは、水の毒気を抜くため、黄金を沈めたという一説。しかし、この伝説は事実ではないことが明らかになっています。なぜなら、1969年(昭和44年)に行なわれた解体修理で、秀吉の死から100年以上あとの1726年(寛永3年)に創建されたことが判明したからです。

大阪城(大坂城)にまつわる逸話

大阪城(大坂城)にまつわる逸話

大坂御坊が建てられた1496年(明応5年)から500年以上が経ち、石山本願寺に豊臣大坂城、徳川大坂城と、姿や名称を変えながら現在の場所に鎮座し続けている大阪城。500年の長い歴史のなかで、大阪城(大坂城)にまつわる逸話がいくつか残されています。

豊臣秀吉と金明水井戸屋形の伝説以外で、現代に伝えられている大阪城(大坂城)にまつわる逸話を紹介しましょう。

大坂城には妖怪が住んでいた?

大坂城の北西にある京橋口の定番(じょうばん:一定期間駐在して城を警護する役)には、代々妖怪に憑りつかれる者が多くいました。なかには在任中に命を落とす者もいたため、定番の屋敷には稲荷社を祀ったり、新任時に小祠を奉納したりするのが風習でした。

1725年(享保10年)に京橋口定番として入城した「戸田大隅守」(とだおおすみのかみ)が歴任者たちによって祀られた社を取り除くと、巨大な古狐の姿をした妖怪が出現。壮絶な戦いの末、大隅守によって代々の京橋口定番を苦しめた妖怪は退治されました。

この逸話は、『金城聞見録』(きんじょうぶんけんろく)で確認できます。

雨の日にだけ現れる竜と虎

大坂城の南側に位置する桜門にまつわる逸話は、雨の日だけ桜門の両脇にある石に竜と虎の姿が現れるというもの。竜が向かって右側、虎が向かって左側です。これは、中国の四神思想に基づいていると考えられています。四神思想では、東の守護神が「青竜」、西の守護神が「白虎」だからです。

この逸話を世に知らしめたのも『金城聞見録』ですが、桜門に浮かび上がる竜と虎を実際に見た人はいません。江戸時代から明治時代への転換期に発生した戊辰の役で桜門は焼失。『金城聞見録』は江戸時代の書物で、現存する桜門は軍部によって1887年(明治20年)に復元されています。そのため、雨の日に桜門を見ても、残念ながら竜や虎は確認できません。

蓮如上人の「袈裟がけの松」

1496年(明応5年)、本願寺8世法主蓮如」(れんにょ)は、現在の大阪城がある場所に大坂御坊を建立し、その建立経緯を記しました。蓮如上人のこの御文章は、地名としての「大坂」が初めて見られる文献として知られています。

大阪城の東南に位置する玉造口から梅林へ向かう途中にあるのが、蓮如上人直筆の『南無阿弥陀仏』が刻まれた石碑です。その後ろには、大坂御坊を建立したときに蓮如上人が袈裟をかけたと伝えられる松の木があります。

松の木は枯れてしまい、現在残っているのは巨大な根だけです。この松は石山本願寺発祥の地として知られていますが、江戸時代に記された大坂城内の絵図によれば、当時「袈裟懸けの松」があったのは本丸の天守閣東側でした。

いつどのような経緯で現在地に松の木が移植されたかは、残念ながら明らかになっていません。しかし、蓮如上人からの流れを汲む本願寺の存在を示す遺跡として、東本願寺西本願寺からは聖地のごとく信仰されています。

より大阪城(大坂城)を満喫する方法

より大阪城(大坂城)を満喫する方法

大阪城があるのは、大阪の中心に位置する大阪城公園の敷地内です。大阪城公園には大阪城以外にもスポーツ施設や庭園など、楽しめる場所がたくさんあります。

大阪城を主な目的として大阪城公園を訪れるのであれば、より大阪城(大坂城)を満喫できる場所を訪れたいもの。そこで、大阪城(大坂城)を堪能するのにおすすめの場所を紹介します。

「兜と陣羽織の試着体験」で記念撮影

大阪城の開館時間中、天守閣の2階で戦国武将の兜と陣羽織を試着して記念撮影ができます。女性用の小袖も用意されているので、大阪城での思い出作りにぴったりです。

用意されている兜は、次の5種類。

初代の大坂城を建てた豊臣秀吉の「馬藺後立付兜」(ばりんうしろだてつきかぶと)は、大坂城が竣工したあとに行なわれた1587年(天正15年)の九州平定時の物です。菖蒲の一種である馬藺の葉を象った装飾が目を引きます。

早くから豊臣秀吉の天下統一を手伝った「加藤清正」(かとう きよまさ)の「蛇目紋長烏帽子形兜」(じゃのめもんながえぼしなりかぶと)は、縦長の形が特徴。秀吉の命で大坂城の縄張りをした「黒田官兵衛」(くろだ かんべえ)の「赤合子形兜」(あかごうすなりかぶと)は、簡素な形ながら真っ赤な色が目立ちます。

真田幸村」(さなだ ゆきむら)と「後藤又兵衛」(ごとう またべえ)は、豊臣秀吉死後に大坂夏の陣で豊臣方として活躍しました。真田の「鹿角脇立付兜」(かづのわきだてつきかぶと)と後藤の「水牛脇立付兜」(すいぎゅうわきだてつきかぶと)は、ともに2本の角が特徴的です。

「大阪城御座船」に乗って大阪城の内壕巡り

大阪城には、約20分で内壕を巡れる観光船「大阪城御座船」があります。豊臣大坂城を描いた現存する数少ない作品である『豊臣期大坂図屏風』に登場する、豊臣秀吉の「鳳凰丸」を再現した大阪城御座船。大坂夏の陣から400年の節目を迎えた2015年(平成27年)に就航した大阪城御座船には、一艘あたり約3,000枚の金箔が使用されていて豪華絢爛です。

日本の城で一番高い大阪城の石垣を目の前に見られるのはもちろん、石垣を作った大名たちがその出来栄えを誇示するために刻んだ各藩の刻印も確認できます。

天候に問題がなければ、大阪城御座船は毎日運航。一艘あたりの定員は18名で、10~15分間隔で運行しています。混雑時は15時前後で乗船券が完売し、混雑時でなくても最終便が発つのは17時より前です。どうしても大阪城御座船に乗りたいときは、大阪城の北側にある極楽橋からすぐの乗船券売り場で先に乗船券を確保しましょう。

【施設情報】

大阪の歴史を知るためにあわせて観たい場所

大阪の歴史を知るためにあわせて観たい場所

大阪城は、戦国時代以降の大阪の歴史を知るうえで欠かせません。しかし、大阪の歴史を知れる場所は大阪城以外にもあります。

ここからは、大阪の歴史をテーマとしたおすすめスポットを紹介。あわせて観に行けば、大阪をより深く知れます。

大阪歴史博物館

大阪歴史博物館は、2001年(平成13年)に大阪市と日本放送協会(NHK)が共同で建設した博物館です。10階建てと大きく、常設展はもちろん、1~2ヵ月で入れ替わる特集展示や期間限定の特別展など、頻繁に展示が変わるので何度訪れても新鮮な気持ちで楽しめます。

大阪城天守閣と大阪歴史博物館の常設展示を割引価格で観覧できる「大阪城天守閣・大阪歴史博物館(常設展)セット券」を販売しているので、お得に大阪城も楽しめておすすめ。このセット券は大阪城でも取り扱っているので、お好きな順で訪問できます。

【施設情報】

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は2001年(平成13年)に開館した、「住まいの歴史と文化」を専門に扱う日本初の博物館です。

江戸時代の大坂を実物大で復元した9階や明治以降の大阪の暮らしを模型や資料にまとめた8階は、大阪城(大坂城)の城下町・大阪(大坂)を知るのにぴったり。9階の風呂屋シアターでは、江戸時代の暮らしを学べる映画を上映しています。一日9回上映していて、上映時間は約20分です。

落語家による音声案内を利用すれば、より楽しく大阪(大坂)の歴史を学べます。

【施設情報】

※この記事は2019年(令和元年)12月時点の情報に基づいて作成されています。

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