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日本の城

小倉城
コクラジョウ北九州市小倉北区の「小倉城」の施設情報や、地域の皆様からの基本情報、口コミ、投稿写真、投稿動画をご紹介します。また小倉城の周辺施設情報や賃貸物件情報も掲載。北九州市小倉北区でのお城・城跡探しにお役立て下さい。




- 施設名称
- 小倉城
- 所在地
- 〒803-0813
福岡県北九州市小倉北区城内2-1
- TEL
- 093-561-1210
- 交通アクセス
- 「西小倉駅」下車 徒歩6分
※直線距離で算出しておりますので、実際の所要時間と異なる場合がございます。

- ホームページ
- フリースペース

- 【最終更新日】
- 2016年05月09日
- 営業時間
4月〜10月 9:00〜18:00
11月〜3月 9:00〜17:00
(入館は30分前まで)
- 休城日
-
年中無休
- 別名
- 勝山城、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城
- 駐車場
有り
- 入場料
一般 350円
中学生・高校生 200円
小学生 100円
- 団体予約
団体割引 (30名以上) 2割引き
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「小倉城」投稿写真
※この写真は「投稿ユーザー」様からの投稿写真です。
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小倉城の所在地




小倉城の概要
「小倉城」(こくらじょう)は、福岡県北九州市小倉北区に建造されたお城です。
本丸を中心に南の「松丸」、北の「北の丸」が囲み、さらに「二の丸」、「三の丸」、外郭が全体を囲む梯郭式の平城で、城の横を流れる紫川の河口西岸にあった丘の形状を利用して造営されました。別名「勝山城」の名は、城の敷地の一部に整地された「勝山公園」に面影を残しています。
最初の城主、細川家の姻戚であり、のちの城主となった「小笠原忠真」(おがさわらただざね)は大名茶人で、現代に伝わる茶道「小笠原流」を興したことでも有名です。場内の敷地に設けられた小笠原氏の別邸は「北九州市小倉城庭園」として、日本の伝統文化である「礼法」の心得を、当時の生活様式の展示品とともに紹介する施設となっています。
「小倉城」は2度の焼失がありましたが、唐造りの構造や天守閣が再建され、城下町を再現したジオラマや、体験ゾーンなどが楽しめる体験型施設として一般公開されています。
「小倉城」と勝山公園、小倉城庭園と、1933年(昭和8年)に城内に遷座された「八坂神社」が隣接し、敷地内に桜が植樹されてからは、花見客や海外からの旅行客も多く訪れる観光スポットとなりました。
城跡や神社、庭園それぞれの景観を活用して、「小倉城桜まつり」、「小倉城盆踊り」、「小倉城ビアガーデン」など、季節ごとに様々なイベントを開いて賑わいを見せています。
小倉城の見どころ
「小倉城」の特徴は、当時では全国で唯一と言われた「唐造り」の構造です。昭和34年以降、コンクリート構造で全体を再建して当時の姿を再現しています。
4階のひさしがなく、上の5階の平面を4階の面積より広く取って張り出させた造りは「南蛮造り」とも呼ばれ、新しい、または珍しい造りという意味がありました。この構造を採用した理由としては、慶長時代以降に「徳川家康」(とくがわいえやす)より天守階層の規制が事実上あったことから、幕府への遠慮によるものと考えられています。
隣接する小倉城庭園からは城を仰ぎ見ることもでき、風流な庭園と城とが調和した景観に、教養人・文化人としても名高かった「小笠原忠苗」(おがさわらただみつ)の築城センスを窺い知ることができます。
城壁は、切り石を使わず自然の形のままの石だけで組み上げる「野面積み」(のづらづみ)で、初期の石積み法が用いられています。荒々しさを残す「野面積み」は隙間ができやすく、敵が登りやすいというデメリットがありますが、石を密着させる「切り込み接ぎ」(きりこみはぎ)に比べて排水性が高く、頑丈で高い耐久性を誇ります。
乱世を生きた戦国大名「細川忠興」(ほそかわただおき)の自慢だったと言われる城壁が、当時のまま残されているのも見どころのひとつです。
城内には、本丸跡に造営されていた陸軍12師団司令部設置跡の赤レンガ門が残され、「小倉城」が焼失したあとも、この地が戦いにおいて九州の要となっていたことが分かります。12師団には、文人・「森鴎外」が1902年(明治35年)まで軍医部長として着任していました。
小倉城の歴史
築城は1587年(天正15年)、「毛利勝信」(もうりかつのぶ)により築かれたとされていますが、一番初めの築城年代は定かでなく、1264〜1274年(文永年間)「緒方大膳亮惟重」が居城したのが初見とされています。
のちに「毛利勝信」が入城し、「関ヶ原の戦い」で豊前国を拝領した「細川忠興」(ほそかわただおき)が1602年(慶長7年)に城主となり、7年をかけて改築されました。
小倉は九州の入口に位置しており、かつては九州各地へと向かう街道の拠点でもあったことから、商業や海外との貿易などが活発で城下町も繁栄。1791年(寛政3年)に「小笠原忠苗」(おがさわらただみつ)が城主となり、別邸である回遊式庭園を城内下屋敷に造らせ、城と庭園の風情を同時に楽しめる配置となっています。
1837年(天保8年)に失火により「小倉城」の天守閣と本丸御殿が焼失。1839年(天保10年)には再建しますが、天守は戦後まで戻されませんでした。
城の北側は海に面しており、1863年(文久8年)に海防強化のため紫川の河口両岸に砲台を設置。翌1864年(元治元年)には幕府より「第一次長州征伐令」が出され、1865年(慶応元年)の「第二次長州征伐」で小倉藩を中心とした征長軍が「小倉城」に置かれました。
人数では長州藩を圧倒していた小倉藩ですが、重い鎧兜を身に着け、火縄銃と槍や弓矢を使うなど旧来の戦い方で挑んだことで、身軽な西洋スタイルを採用し、連続して発射できるケーベル銃を備えた長州藩に次第に追い詰められていきます。
翌年8月1日、香春へと陣を退く際、小倉藩自ら城に火を付けて、2度目の焼失となりました。「小倉城」の天守閣が再建されたのは戦後1959年(昭和34年)。最初の焼失から122年を経て、「小倉城」は本来の姿に戻りました。
小倉城の施設情報
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小倉城口コミ投稿(131件)
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施設の周辺情報(タウン情報)
「小倉城」の周辺施設と周辺環境をご紹介します。
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