「高知城」は高知県高知市の高知公園内にあるお城です。すぐそばには県庁もありますね。北側に流れる久万川、南側を流れる鏡川の挟まれる形に位置しています。天守も消失してしまったので再建により現在に至るようです。天守自体は有料による観覧になりますが、高知公園から眺めるだけでも楽しめますね。
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日本の城

高知城
コウチジョウ高知県高知市の「高知城」の施設情報や、地域の皆様からの基本情報、口コミ、投稿写真、投稿動画をご紹介します。また高知城の周辺施設情報や近くの賃貸物件情報も掲載。高知県高知市でのお城・城跡探しにお役立て下さい。




- 施設名称
- 高知城
- 所在地
- 〒780-0850
高知県高知市丸ノ内1丁目2-1
- TEL
- 088-824-5701
- 交通アクセス
- 「県庁前駅」下車 徒歩4分
※直線距離で算出しておりますので、実際の所要時間と異なる場合がございます。

- ホームページ
- フリースペース

- 【最終更新日】
- 2016年06月29日
- 営業時間
9:00〜17:00 (最終入館16:30まで)
※ゴールデンウィークやよさこい祭期間中などは開館時間を延長することがあります。
- 休城日
-
12月26日 〜 1月 1日
- 別名
- 鷹城(たかじょう)
- 駐車場
有り
- 入場料
18歳以上 420円
18歳未満(学生証等をご提示ください) 無料
- 団体予約
団体割引 18歳以上:330円
18歳未満(学生証等をご提示ください) 無料
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「高知城」投稿写真
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施設の紹介動画
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高知城の所在地




高知城の概要
「高知城」(こうちじょう)とは、高知県高知市高知公園内にある日本のお城です。1603年(慶長8年)に「山内一豊」(やまうちかつとよ)によって大高坂山に築かれ、別名「鷹城」と呼ばれています。
明治維新の際に日本各地の城が取り壊され、残った城も戦争で被害を受ける中、「高知城」は本丸内の建造物が江戸時代から解体されずに残りました。天守だけではなく、周囲の御所・櫓・矢狭間塀・門まで現存しているのは「高知城」のみ。こうした古い建造物の多くが国の重要文化財に指定されており、高知県の管理で保護されています。
1727年(享保12年)に大火により大半が消失し再建されていますが、それでも250年を超える歴史があります。城内には高知にゆかりのある偉人として、浪人から大名になった築城主の「山内一豊」、内助の功として一豊を支えた妻の「見性院」、自由民権運動で知られる政治家の「板垣退助」らの像が建てられています。
「高知城」は明治維新で新政府の主力を担った土佐藩の藩庁が置かれた場所であり、明治維新後もその周辺に行政の拠点が置かれていました。県庁・市役所・裁判所・検察庁・県警本部・消防局・県立図書館などが高知城の周辺に置かれており、「高知城」が高知の中心地であることが分かります。
高知城の見どころ
高知公園の敷地に入り最初に見えるのは重要文化財のひとつである「追手門」です。大火による焼失を逃れた数少ない建造物で、1801年(享和元年)と1990年(平成2年)の大規模修理を経て、400年に亘り状態が維持されてきました。
階段を登ると本丸に繋がる「詰門」が見えてきます。これも重要文化財のひとつで、門としても使われながら本丸と二の丸を繋ぐ廊下橋となっており、重要な防衛拠点でした。
ここを通って本丸に進むと、「天守閣」や「本丸御殿」に辿り着きます。
山の上に重ねられた石垣の上に立つ天守は三層六階で高さは18.5mあり、天守からは城と街が一望できます。また、「本丸御殿」は「懐徳館」とも呼ばれ、「山内一豊」と妻の「見性院」が暮らしていたとされています。
江戸時代から残り続ける現存十二城の中で、御殿が残っているのは「高知城」のみ。天守・御殿共に重要文化財に指定され、保護されています。天守と御殿を囲む矢狭間塀も江戸時代から保存されているもので、重要文化財のひとつです。
城の建造物の他に、追手門の周辺には騎馬に乗った「山内一豊像」や「板垣退助像」、夫に馬を買う資金を提供した逸話に因んで一豊の妻である「見性院像」があります。城の敷地内には県立図書館や高知県庁もあり、かつての「高知城」の大きさが窺えます。
高知城の歴史
南北朝時代には「高知城」の前身にあたる「大高坂山城」があったと考えられています。「高知城」は1601年(慶長6年)に「山内一豊」(やまうちかつとよ)によって築城が開始され、1603年(慶長8年)に完成した物です。この時点では本丸と二の丸しかありませんでしたが、三の丸が完成する前の1605年(慶長10年)に一豊が亡くなりました。その後、養子の「山内忠義」(やまうちただよし)が後を継ぎ、1611年(慶長16年)には三の丸を完成させています。「高知城」の全容が整った以降は山内氏の居城として子孫に継承。しかし、1727年(享保12年)に、城下町の大火によって追手門を除く殆どの建造物が消失しました。
当時の城主は1725年(享保10年)に家督を継いだ「山内豊敷」(やまうちとよのぶ)で、豊敷は「深尾帯刀」(ふかおたてわき)を奉行に任命し再建を指示します。再建には25年の歳月を要し、1753年(宝暦3年)にほぼすべての建造物が元の状態に戻りました。
その後も修復を続けて状態を維持してきましたが、1871年(明治4年)の廃城令に伴い二の丸や三の丸の建造物の大半が解体されてしまいます。しかし、本丸周辺の建造物だけは解体されずに残されました。
1874年(明治7年)に高知公園として一般開放され建造物の状態が維持されるようになると、1934年(昭和9年)には国宝(のち重要文化財)に指定されました。戦後には複数回の大規模修復を挟み、2010年(平成22年)には石垣が修復されています。
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高知城口コミ投稿(147件)
高知城は、土佐藩初代藩主山内一豊によって築かれました。 江戸時代に造られた天守や本丸御殿、追手門がほぼ完全に残っているとても貴重なお城で、日本の100名城にも選ばれています。別名鷹城とも呼ばれ、白い壁と黒い瓦屋根のコントラストが綺麗なお城でもあります。 ここでは、江戸時代に考えられた・・・
高知城投稿写真(261枚)
高知城投稿動画(17本)









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