笠間城は、茨城県笠間市にあったお城です。 笠間城は、鎌倉時代に築城され、豊臣秀吉による小田原征伐まで笠松氏によって治められていました。 お城は、佐白山山頂の天守を中心に東から北に掛けての山腹に造られていて天守曲輪および大手道に関東の城郭に珍しく、石垣が多く使われていました。
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日本の城

笠間城跡
カサマジョウセキ茨城県笠間市の「笠間城跡」の施設情報や、地域の皆様からの基本情報、口コミ、投稿写真、投稿動画をご紹介します。また笠間城跡の周辺施設情報や近くの賃貸物件情報も掲載。茨城県笠間市でのお城・城跡探しにお役立て下さい。




- 施設名称
- 笠間城跡
- 所在地
- 〒309-1611
茨城県笠間市笠間3616
- TEL
- 0296-72-9222
- 交通アクセス
- 「笠間駅」下車 徒歩22分
※直線距離で算出しておりますので、実際の所要時間と異なる場合がございます。

- ホームページ
- フリースペース

- 【最終更新日】
- 2016年10月08日
- 営業時間
24時間営業
- 休城日
-
年中無休
- 別名
- なし
- 駐車場
有り
- 入場料
無料
- 団体予約
団体割引 なし
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「笠間城跡」投稿写真
※この写真は「投稿ユーザー」様からの投稿写真です。
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笠間城跡の所在地




笠間城の概要
「笠間城」(かさまじょう)は茨城県笠間市の佐白山山頂にあった山城で、鎌倉時代の常陸国の武将である「宇都宮時朝」(うつのみやときとも)が築城。築城を始めたのは1219年(承久元年)で、完成したのは1235年(文暦2年・嘉禎元年)と言われており、なかでも一番の特徴は関東地方では珍しく本格的な石垣を持っていることです。
「宇都宮時朝」は笠間を支配下に治めたあと、笠間姓を名乗るようになります。しかし約380年の支配の後、笠間氏は滅亡。蒲生家、松平家など「笠間城」の城主は目まぐるしく入れ替わりますが、その中には浅野家の名もありました。1622年(元和8年)に「浅野長重」(あさのながしげ)が入封し、その後25年にもわたり、浅野家が笠間城主、笠間藩主としてこの地を治めたのです。
この「浅野長重」は忠臣蔵で知られる「浅野長矩」(あさのながのり)の曾祖父。赤穂浪士四十七士の中に3人の笠間藩出身者がいたのは浅野家に恩義を感じていたからという説もあります。
「笠間城」は山頂にあったため天守曲輪の石垣をはじめ、堀など数多くの遺構がありましたが、2011年(平成23年)の東日本大震災で石垣の一部が崩落。笠間市では笠間城跡調査指導委員会が中心となって石垣の応急処置を実施しました。また築石の特徴、内部構造、石垣の保存状況などを把握するなどし、重要な文化財を後世に残すために笠間城保存整備事業を本格化しています。
笠間城の見どころ
標高約180mの佐白山に建てられた「笠間城」は、自然の地形を活用した曲輪や空堀、櫓、門、塀などが築かれた山城。天守曲輪、本丸、二の曲輪、三の曲輪という構成で、東から北にかけての山腹に横堀を持つ複数の郭が連なっています。
特徴的なのは山頂に天守曲輪を持ち、石垣が多用されていたこと。これは関東地方の城郭では非常に珍しいとされています。天守曲輪には天守台があり、2層の天守が建てられていました。
1645年(正保2年)に書かれた笠間城記には「蒲生郷成」が重楼を建てたと記載。このことから石垣を含む天守曲輪を作り、近世城郭へと作り替えたのは、笠間氏以降の1596年(慶長)から1648年(正保)までと考えられています。
佐白山山頂には天守台跡に佐志能神社が建っていますが、この拝殿を建てる際に使用されたのは「笠間城」の天守を解体したときの廃材や天守閣の瓦です。また山麓にある真浄寺にも本丸八幡台上にあった八幡台櫓が移築復元されており、笠間城櫓として茨城県の指定文化財に指定。また薬医門形式の城門も民間に払い下げられた2棟が現存しています。
笠間城の歴史
「笠間城」の築城は当時起きていた寺院同士の抗争が引き金。佐白山がまだ三白山と呼ばれている時代で、山頂には三白山三白寺があり、同じ真言宗の徳蔵引布山徳蔵寺と抗争を繰り返していたのです。そこで三白山の座主が常陸の武将「宇都宮頼綱」(うつのみやよりつな)に助けを求めます。「宇都宮頼綱」の命を受けた甥の「宇都宮時朝」は徳蔵寺の制圧に成功。しかし三白山三白寺にも侵攻し、支配下に治めました。そして山頂の寺院を取り壊し、その場所に「笠間城」を築いたのです。
1590年(天正18年)の「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)による小田原征伐の際に、「笠間綱家」(かさまつないえ)は北条側に。そのため宇都宮氏勢に攻め込まれて「笠間城」は落城し、笠間氏は滅亡しています。
その後、宇都宮家家臣の「玉生高宗」(たまにゅうたかむね)や、宇都宮城主「蒲生秀行」(がもうひでゆき)の重臣「蒲生郷成」(がもうさとなり)らが笠間城城主、笠間藩藩主となり、城下町を整備。そして浅野家が藩主だった1643年(寛永20年)に藩の庁舎となる下屋敷が佐白山の下の台地に築かれます。山頂に藩庁があると不便だったからと考えられており、これ以降、「笠間城」は象徴的な存在に。城主はその後も入れ替わりますが、1747年(延享4年)に「牧野貞通」(まきのさだみち)が入城すると明治時代に廃城となるまで牧野氏歴代が城主を務めました。
笠間城跡の施設情報
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笠間城跡口コミ投稿(16件)
笠間城跡は、茨城県笠間市にあります。茨城に旅行に行った時に立ち寄りました。佐白山頂にあった山城で、駐車場から山道を登って到着。天守閣など建物は無く、石垣 土塁 空堀などの遺構がありました。忠臣蔵で有名な浅野家が赤穂に移封になる前に城主を務めていたこともあり、大石内蔵助の像もありました・・・
佐白山頂に築かれた笠間城。鎌倉時代の笠間時朝が築いてから約750年間 歴代の笠間領主の居城となってきました。現在は堀の跡や石垣が残されています。山頂の天守曲輪には、佐志能神社がありますよ。
笠間城跡投稿写真(29枚)
笠間城跡投稿動画(3本)
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