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日本の城用語集(は行)



日本の城に関する情報を検索できる「城ワールド」が、日本の城に関する用語(は行)をご紹介します。お城用語などの予備知識があれば観光の面白さも数倍に!日本の城のことがよくわかる日本の城用語集をご活用下さい!

廃城

廃城とは、城の建物が本来持つ、軍事的拠点や砦としての機能をなくす処置のことを意味する。鎌倉時代や安土桃山時代などには日本の各地にたくさんの城郭や館が築城されたが、戦によって攻め落とされたあとには廃城とされることも多かった。領地や勢力の拡大を続けるにつれて本拠となる城を移すこともあり、こうした場合に移転前の本拠であった城が廃止される例も少なくない。廃城にすることが決まると建物を取り壊すこともあれば、建物その物は残す場合もある。城の取り壊しは「破城」と表現するのが一般的。1615年(元和元年)には江戸幕府から一国一城令、1873年(明治6年)には明治政府から通称、廃城令が発布されたが、このときには数多くの城が廃城の憂き目にあっている。

廃城令

廃城令とは、1873年(明治6年)には明治政府から発せられた「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」(ぜんこくじょうかくそんぱいのしょぶんならびにへいえいちとうせんていかた)の通称である。廃城令の他に、城郭取壊令や存城廃城令などと呼ばれることもある。当時存在していた各地の城について、政府の陸軍が兵営地などとして使う軍事用施設にするか、あるいは政府が売却用の財産として処分するか、どちらかに分けられた。前者は存城処分、後者は廃城処分と言う。いずれも、区分後に取り壊された城がある一方で、存城処分に指定されていた兵庫県の姫路城や、廃城処分となっていた愛知県の犬山城などのように、それぞれの事情から現存する物もある。

白米城

白米城とは、山の上にある城が、籠城戦において白米を水に見せかけて、水に困っていないことをアピールしたとされる伝説のこと。日本の各地に白米城の伝説が残る。籠城戦とは、城を取り囲むように攻めてきた敵に対し、守る側が長期間城に立て籠もることで、攻め手の戦意や戦力を疲弊させようとする作戦のこと。城のなかにある水は限りがあるため、次第に不足していくが、白米城ではこの水が城内にまだ豊富にあると見せかけて攻め手を欺くことが狙いであったと考えられる。具体的には、滝をイメージして崖の上から白米を流したり、白米によって馬を洗ったりする姿を敵に見せたとされる。事実であるかどうかは不明で、口承によって全国に伝播した創作の話であると推測する説が有力である。

箱堀

箱堀とは、日本の城の防御設備である堀の分類のひとつである。堀は地面の一部を深く掘ってくり抜き、敵がその向こうへ侵入するのを妨げたり、城を守る兵がそこに隠れて移動したりするのに役立つ設備。城や館を囲むように掘ったり、曲輪を区切ったりするように配置する。堀は断面の形状によって箱堀、薬研堀、片薬研堀、毛抜堀の4つに分けられるが、そのなかでも箱堀は凹型にくり抜いた物を意味する。堀の底に平面状の部分があるのが特徴で、底から見たときに両サイドの壁が高い。鉄砲が普及したことによって堀の幅が広くなっていき、両サイドの壁が離れて底が平らな箱堀ができたとも考えられる。箱堀は、なかに水を入れる水堀として採用されることが多い。

破城

破城とは、城を取り壊すことを意味する。廃城の結果、行なわれる処置のひとつ。城割(しろわり)とも呼ばれる。日本では中世や近世において、領地や勢力の拡大を続けるにあたって本城を移すこともあり、こうした場合に以前の本城であった城が破城されることがあった。敵の城を攻め落としたあとに、その城を破城とすることも多い。また、戦の最中にも、和平や休戦の条件として特定の城について破城を行なうこともあった。こうした条件においては1城の破城を約束するのが一般的であったが、織田信長や豊臣秀吉の時代になると領国内の城すべてを破城対象とするなど規模が大きくなっていく。1615年(元和元年)の江戸幕府からの一国一城令では、数日で約400の破城がなされた。

破風

破風とは、日本の建築物に関する用語のひとつ。切妻造や入母屋造などでは2方向の屋根が合わさって、横から見ると三角形をなす部分ができるが、この三角形の部分を破風と言う。先端部を隠すために、破風板と言う部材を取り付けることも多い。また、城においては、建物の構造上は必要がないものの、外観の美しさを表現する意味合いで天守や櫓などの屋根に載せるように破風を据えることが多かった。そうした装飾的な破風として、三角形のてっぺん部分が凸状にむくり、両サイドの端が反った形状の物なども考案されている。形状などによって分類され、屋根の斜面に取り付ける「千鳥破風」、小さめの千鳥破風を屋根の上に据えた「据破風」などがある。

藩とは、日本でかつて使われていた地域区分及び、それを統治する行政機構などの名称である。一般的には江戸時代に将軍から石高1万石以上の土地を支給されて、大名や家臣らが支配する領域及びその支配機構を意味する。ただし、江戸時代後期までは藩と言う呼び方は通常はなされず、その地を治める大名家の名を取って御領内などと称することが多かった。1868年(明治元年)に明治政府が藩の概念をなくして、代わりに府・県とする廃藩置県と言う行政改革を行なうが、それまで藩の概念は260年余り機能していたとされる。当初、府・県になるときには、飛び地や小規模の物も含めて藩の区画がそのまま生かされて306県が誕生している。

左袖

左袖とは、日本の城の防衛設備である馬出(うまだし)に取り入れられることがある造作のひとつ。馬出とは、土や石でできた小ぶりの曲輪(くるわ)で、虎口の門の外に設けられる物。虎口前に曲輪があることで城のなかへ敵が一直線に進む勢いを一旦止めたり、城のなかの様子を外から見えにくくしたりすることができる。こうした馬出のなかにおいて、城の内側の入口付近に、城外からの見通しをさらに悪くするために設ける土塁や石垣が左袖である。左袖と言う名称だが、入口の左右に造るのが一般的。両袖壁、両袖塁とも呼ばれる。左袖を設けることにより、もともとの虎口と、城外と馬出の境目にある出入り口、さらに左袖と馬出の壁の間にできる門、計3つの門ができる。

人質曲輪

人質曲輪とは、日本の城に多く配置された曲輪(くるわ)のうち、人質を住まわせておくための曲輪のことを意味する。中世では、敵対する隣国との関係を調整するために、領主の親族などが人質として差し出されることがあり、手厚い待遇を受けたり、城内の人々と五分の関係でいられたりすることもあるなど、扱われ方は様々であったと伝わる。曲輪とは、一定のスペースを囲った塁やその区画のこと。人質曲輪は中世の城に設けられた例があるが、近世の城ではあまり実施された例が確認されていない。滋賀県の彦根城には、人質曲輪の名称が残る曲輪が現存し、当時、人質を城のなかへ入れたときにここへ隔離したと考えられている。

平城

平城とは、日本の城について、どのような場所に建てられた物であるかに注目して分類したときの種類のひとつである。地勢の高さや状態によって、平城、平山城(ひらやまじろ)、山城(やまじろ)の3つに大きく分けられ、なかでも平城は平坦な地に造成された城のこと。地の高低にかかわらず、曲輪について輪郭式縄張、梯郭式縄張と呼ばれる方法を採用した城が平城にあたると考えるのが一般的である。守備力を高めるために石垣や堀を設けた物が多い。近世になって盛んに造られ、城の全体数の4割程度を占めるとする説もある。代表的な例としては、長野県の松本城、岐阜県の大垣城、愛知県の名古屋城、大阪府の大阪城、京都府の二条城、広島県の広島城、佐賀県の佐賀城などがある。

平山城

平山城とは、日本の城について、その城が建てられた場所に注目して分類したときの種類のひとつである。地勢の高さや状態によって、平山城、平城(ひらじろ)、山城(やまじろ)の3つに大別され、なかでも平山城は小山や丘陵部と平地を利用して造られた城のこと。山城と平城の性質を併せ持つ。守備面を重視した山上の城と、日常生活を過ごすのに便利な平地の邸宅の利点を盛り込み、丘陵の上部平面のみを使った「丘陵城郭」から発展した物。江戸時代には、丘陵の上のほうに本丸を置き、丘陵地のやや下のほうに二の丸を配し、ふもとの平坦な地に三の丸や惣曲輪などを設ける「一二三(ひふみ)段」と呼ばれる形状が、景観の美しさからも好まれて流行した。日本では近世までに建てられた城の半分以上が平山城であり、代表例としては兵庫県の姫路城などがある。

復元天守

復元天守とは、何らかの要因でなくなってしまった城の天守の、かつての形をなるべく忠実に再現した物。文献などの古資料や古絵図、江戸時代末期から明治時代初期までに撮影された古写真、発掘調査された遺構などをもとに復元作業を行なうのが一般的。材料や工法も建築当時の物を採用する例が多い。天守は城の象徴ともなる建物であるだけに、国内各地で復元が実施されてきた。すべて木造によって原型に近付けて再現された天守としては、静岡県の掛川城天守、福島県の白河小峰城御三階櫓、愛媛県の松山城小天守がある。また、岐阜県の大垣城や和歌山県の和歌山城などの天守は、現代法の制限を受けたために建築当時の工法をそのまま踏襲することはできなかったものの、鉄筋コンクリート構造で外観が復元された。

複合式天守

複合式天守とは、日本の城郭の構成要素である天守について、平面構成に注目して分類したときの種類のひとつである。天守とは城の中核となる多重層建築のことで、初期のころには独立した形で築かれていたが、のちに防御力をより高めるために様々な平面構造が考案されていった。平面構造で分類すると独立式天守・複合式天守・連結式天守・複連結式天守・複合連結式天守・連立式天守があり、なかでも複合式天守はメインとなる大天守に多聞櫓や付櫓を添えた構成の物である。入口は多聞櫓や付櫓のほうにある。例えば、その複合式天守を採用した岐阜県の大垣城では、4重層の大天守の西側と東側にそれぞれ多聞櫓が付随するL字形の平面構成になっている。

複合連結式天守

複合連結式天守とは、日本の城の中核施設である天守について、平面構成に注目して分類したときの種類のひとつである。天守は初期には独立で築かれていたが、防御力を上げるために次第に平面構造についても工夫されるようになっていった。平面構造で分類すると独立式天守・複合式天守・連結式天守・複連結式天守・複合連結式天守・連立式天守があり、なかでも複合連結式天守は、複合式天守と連結式天守の特徴をかね備えた物で、メインとなる大天守とやや小さい多重櫓である小天守、2基以上の櫓が連結されているのが特徴である。例えば、その採用例として知られる長野県の松本城では、大天守と小天守が渡櫓で連結され、天守に付随して巽附櫓と月見櫓が造られている。

復興天守

復興天守とは、火災など何らかの要因によってなくなってしまった城の天守を、資料をもとにしながら、専門家の補足推定などを加えて復元した物のことを意味する。似たような用語に「復元天守」があるが、こちらは文献などの古資料や古絵図、江戸時代末期から明治時代初期までに撮影された古写真、発掘調査された遺構などをもとに昔の姿を忠実に再現する物。これに対し、復興天守はそうした資料が乏しいために、推定が必要になる。本来は破風のない天守に飾り破風が付けられた例も多い。復興天守として知られるのは、大阪府の大阪城や岸和田城、岐阜県の岐阜城などがある。こうした天守の復興・復元は昭和30年代から平成期にかけて盛んに行なわれてきた。

武家諸法度

武家諸法度とは、1611年(慶長16年)に江戸幕府が発布した法令のことである。幕府が大名を統制し、全国を治めるためのベースとなる法で、大名や旗本、武家が対象となっていた。7代将軍徳川家継と15代将軍徳川慶喜を除いては将軍が新しい代へ交代するたびに改正して布告され、13ヵ条で始まった物が最終的には19ヵ条となる。3代将軍徳川家光のときには参勤交代制度なども加わっている。武家諸法度のなかには城に関する厳しい規定も含まれていて、これによって城を新たに築くことは禁止され、城の補修や改修工事を行なうにも幕府の許可を得ることが必須になった。最初は小さな修理も規制の対象であったが、家光の代の改正令以降は櫓や門、塀などの修理はもとの姿に改変なく復旧する工事であれば幕府の許可は不要になっている。

塀とは、外部からの侵入防止や目隠しなどの目的で、住宅や各種施設などの敷地の境界に建てられる障壁のこと。中世や近世の城においても、曲輪(くるわ)を区画したり、塁上に設けて防衛力を強化したりするために塀が多用された。当初は板塀で、柵に板を付けた物や盾を複数並べることが行なわれた。しかし、火に弱いと言う板塀の欠点を克服するため、次第に板表面に土や漆喰などを塗るようになり、塗塀が生まれた。さらに土で造った土塀なども考案される。城に用いられた塀としては、柱や板を中心に立ててから泥土で突き固めて屋根を載せる「築地塀」(ついじべい)や、漆喰の塗り壁の下部に平瓦を張る「海鼠塀」(なまこべい)、軒先に鋭利な刃物を付けた「剣塀」(つるぎべい)などがある。

星形要塞

星形要塞とは、空から見たときに堀や曲輪(くるわ)などが星のような形状になっている築城方式のこと。中心あたりに建物群があるのが一般的。15世紀半ば以降にイタリアで初めて実践された物で、西洋式の城郭とされる。イタリア式築城術、ヴォーバン様式、稜堡式城郭などとも言う。銃や大砲に備えて考案された物で、迎撃の死角をなくすために5つの角の先(稜堡)それぞれに砲台や兵を配備。敵が攻めて来たら、2つの稜堡から攻撃をかける。代表的な物はオランダ・ナールデンにある要塞都市や、ポルトガルのアルメイダなどで、ヨーロッパ各地で築かれた。日本では、江戸幕府が北海道函館に建造した五稜郭、長野県の龍岡城などが星形要塞として知られる。

堀切

堀切とは、日本の城郭において造られることがあった防衛設備の名称である。山上の峰や舌状大地などに建つ山城や丘城で多く、敵が峰の上を伝ってやって来るのを防止するために、峰の方向に垂直に造る堀のことであり、通り道が途中で遮断されるので、攻め手は進行が困難になる。なかに水を入れない空堀の一種。城を防衛するための堀は通常、天守などの建物や曲輪全体を囲むように比較的長い距離でめぐらされるが、堀切は尾根や丘陵の盛り上がった形状を一部切り取るようなイメージである。腰曲輪や帯曲輪、切岸などと用いて、防衛力をより高めることもあった。堀切の遺構としては、静岡県の興国寺(こうこくじ)城、同県の葛山城などがある。

本城

本城とは、日本の戦国時代において、領地のなかで中核となった城のこと。同一の領主が治める地域のなかにある支城(しじょう)や枝城(えだじろ、えだしろ)と呼ばれる他の城や砦、陣屋などに補佐される立場にある。支城に対して、領主がそこに存するのが本城の特徴。こうした一定の領地内の中核となる部分を指して本城と呼ぶこともある。また、本城は大きく根城(ねじろ)と大根城の2種類に分けることができる。一定の地域における支城や枝城に対する物が根城、根城をまとめる本城が大根城となる。例えば、江戸時代に入ると、幕府が全国を統括する拠点としていた江戸城が大根城であり、各地の大名の城が根城、各領地に点在する陣屋などが支城あるいは枝城と言う位置付けである。

本丸

本丸とは、ひとつの城の中心となる曲輪(くるわ)のこと。曲輪とは土塁や石垣などで区画された一定のスペースのことを意味し、日本の城は曲輪をいくつも配置する形で構成される。こうした複数の曲輪のなかでもメインとなる物が本丸であり、戦国時代には根城(ねじろ)、実城(みじょう)、本城(ほんじょう)、一ノ曲輪、構の内などがこれに相当した。そこには天守閣や櫓、殿舎などの建物が築かれる。本丸を攻め落とされることは戦ではあってはならないことであり、守備力を高めるために城郭の最も奥に配置されるのが一般的。通常は城主の居所であり、本丸は戦のときに司令部が置かれる。戦のないときには領地内の政治を司る拠点とされた。

本丸御殿

本丸御殿とは、中世や近世の日本の城において敷地内に設けられることがあった建物のひとつ。城郭のなかでも中核にあたる本丸と言う曲輪(くるわ)にあり、城主あるいは藩主が会見の場としたり政務を行なったり、居間のように日常生活を送ったり、台所として使ったりと様々な用途を持った屋敷のことを意味する。江戸時代には役人が集まる政庁としても機能した。本丸には本丸御殿の他に天守などがあるが、平時は天守ではなく本丸御殿を使うのが一般的。本丸御殿は、例えば名古屋城では武家風書院造をベースに狩野貞信や狩野探幽などの狩野派の絵師による床の間絵や襖絵などが描かれるなど、豪華に飾られることも多かった。現存例は埼玉県の川越城と高知県の高知城のみで、愛知県の名古屋城、熊本県の熊本城の物などが復元されている。

防塁

防塁とは、主に防衛のために築かれる砦のこと。土を盛って堤防状にする土塁や、石を積み重ねて固めた石塁などがある。日本では古くから、外部からの侵入を防ぐために館の周りに土塁をめぐらすと言った方法が採られていた。中国では早い段階で「万里の長城」に代表されるような大規模な防塁が建造されていたが、日本は海に囲まれていて陸続きで隣接する国がないことなどから、そうした防塁は長く登場しなかった。町全体を取り囲む程の規模を持つ防塁が造られた例は安土桃山時代にあり、豊臣秀吉が京都の周りにめぐらした土塁「御土居」(おどい)などがある。塁は基本的にはそこに住むことなどはないが、塁上に設けられる多聞櫓(たもんやぐら)のように他の設備が付随することがあった。

望楼型天守

望楼型天守とは、日本の城において中核施設とされる天守について、建築様式に注目して分類したときの種類のひとつである。入母屋造や切妻造の櫓の上に小規模な望楼を重ねたような形状の天守を意味する。切妻造とは本を伏せたように2面の屋根を持つ建築様式であり、入母屋造はその切妻造と4方向に面を下ろす寄棟造を合わせたような形式の物。もともと天守建築はこのいずれかの形式が主だったが、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの前後から望楼型天守が登場し始めた。高い位置から敵の様子を偵察して指揮を執るために、城主の住む館に望楼を設けたことから誕生したと考えられている。望楼型天守は、愛知県の犬山城、福井県の丸岡城で現存例が見られる。

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