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日本の城用語集(な行)



日本の城に関する情報を検索できる「城ワールド」が、日本の城に関する用語(な行)をご紹介します。お城用語などの予備知識があれば観光の面白さも数倍に!日本の城のことがよくわかる日本の城用語集をご活用下さい!

中曲輪

中曲輪とは、日本の城のエリア内に置かれる曲輪(くるわ)の1種である。別名は三の丸。兵庫県にある姫路城などいくつかの城において、三の丸のことが中曲輪と呼ばれている。曲輪とは土塁や石垣などで分けられた一定の区画のことであり、中世や近世の城はいくつかの曲輪を並べて構成されていた。こうした複数の曲輪のなかでも中核の機能を持つのが本丸、それを守護するのが二の丸、さらに二の丸を守るのが中曲輪である。中曲輪は二の丸を囲んだり、二の丸に隣接する形で構えたりすることが多く、城へ攻め込んできた敵が本丸や二の丸へ進む前に中曲輪を攻略しなければならない設計にするのが基本であった。中曲輪に置かれていたのは重臣が暮らす屋敷や馬屋、城主が使用する厠、蔵などである。

長押

長押とは、柱間を水平方向につなぐ部材。城郭建築においては、望楼型と呼ばれる形状の天守に見られる特徴のひとつである。望楼型天守とは、入母屋造や切妻造の櫓の上に小規模な望楼を重ねた形状の天守のこと。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いのころから登場し始めた形状の天守である。この望楼型天守の構造的な強度を高めるために、鴨居上など柱の間に水平材を渡した物を長押と言う。次第に外見を良くする意味合いも加わったと考えられる。愛知県の犬山城天守にある長押は木材がそのまま見えているが、兵庫県の姫路城天守では長押が漆喰で塗り固められており、ときを経て装飾的な役割を持つように発展したことが読み取れる。以後、愛知県の名古屋城天守の長押のように、窓周りに用いられることが増えている。

海鼠壁

海鼠壁とは、四角形の平瓦を張り合わせて、その隙間を漆喰で蒲鉾型に固める方法のこと。日本の城において、塀や建物の壁面に用いられた外壁を、仕上げ方法で分類したときの種類のひとつである。海鼠塀とも言う。主に北陸地方の城で採用されていることから、海鼠壁が寒冷な気候に適合しやすい物であった可能性などが推察されるが、実際にはなぜこの方法が北陸地方で好まれたのかは不明である。現存する海鼠壁としては石川県の金沢城の石川門・百間塀・長屋、新潟県の新発田城(しばたじょう)の隅櫓や大手門などがある。海鼠壁にする場合、必要なときに瓦を割って穴を出すことができる隠し狭間(さま)が設けられることがあった。

南蛮練塀

南蛮練塀とは、日本の城に見られる塀の種類のひとつである。塀のなかでも骨組を持たずに、小石や砂利、再利用した瓦などを入れて固める土塀を練塀(ねりべい)と言うが、南蛮練塀はこうした練塀の特殊な物と言える。砂と砂利の他、石灰や油なども混ぜて固める物で、たいへん強固な造りになる。こうした材料を用いてたたき上げる製法が「南蛮たたき」と呼ばれる物であることから、南蛮練塀の名称が付いたとされる。代表的な例としては愛知県にある名古屋城二の丸北面にある「南蛮たたき鉄砲狭間」が知られる。名古屋城にあるこの塀は本来あった屋根がなくなるなど風化も進んでいるが、数百年経っても現存していることがその強度を証明しているとも言える。

西の丸

西の丸とは、日本の各城において最も主要な曲輪(くるわ)とされる本丸の西のほうに、独立して設けられた曲輪を意味する。曲輪とは土塁や石垣などで仕切られた一定の区画のことである。日本の城は曲輪をいくつも配置する形で構成され、本丸の周りには二の丸が置かれてきたが、西の丸は徳川家康が江戸城に初めて造営したのをきっかけに各地の城に造られるようになった。西の丸は、世代交代をした城主が隠居場所として使うのが基本で、城主の妻や世継ぎとなる子が住むこともあった。城主の家族が私的に利用する区画とも言える。例えば、姫路城の西の丸は、徳川秀忠の娘である千姫が本多忠刻と再婚する際にその化粧料十万石をもって造営された物で、大奥のような役割を持っていた。

二重櫓

二重櫓とは、日本の城の構成要素である櫓について、屋根の数で分類したときの種類のひとつである。ひとつの櫓について屋根の数が2層なら二重櫓で、1層なら平櫓、3層なら三重櫓となる。櫓とは、敵の監視などを意味する物見をはじめ、収蔵や防備の役割のいずれか、あるいはいくつかを担う建物のこと。形状は様々な物が考案されていたが、二重櫓や平櫓では凝ったデザインの物は少なかったと考えられている。櫓の場合、外から見た屋根の数と、なかに存在する階層は必ずしも一致しないと言うのも特徴である。岡山県の岡山城にある二重櫓のように、1階と2階の平面の大きさが同じ物は二重櫓のなかでも「重箱櫓重箱造」と呼ばれる。

二の丸

二の丸とは、ひとつの城の区域内において、本丸を包み込む曲輪のことである。本丸に隣接して築かれた物もあった。曲輪とは土塁や石垣などで分けられた一定の区画を意味し、日本の城は曲輪をいくつも配置する形で構成される。こうした複数の曲輪のなかで最も主要である本丸(ほんまる)を守護するのが、二の丸の大きな役割である。本丸や二の丸の配置方法は様々な物が考案されていたが、敵が城へ攻め込むときにニの丸を通って本丸へ進む設計にされるのが基本。二の丸には城主の暮らす館がある他、藩の政治を行なうための各役所や、武器や弾薬、食料などを保管するための倉庫も設けられた。二の丸の周囲にはさらに三の丸と言う曲輪が配置されることが多い。

二の門

二の門とは、日本の城にある門の呼称のひとつである。通常、城には複数の門が設けられるが、虎口(こぐち)には塀で四角形に囲むように造る桝形門(ますがたもん)と呼ばれる形式の門が多い。桝形門にある2つの門のうち、城外から入って最初に通るのが一の門であり、次にくぐるのが二の門。ただし、城によっては城外側にある門を「二の門」と呼ぶなど、一の門と二の門の呼び方が逆になることもある。一の門と二の門は直角方向の壁に設けられたり、位置をあえて揃えず左右にずらしたりと、城のなかへ敵が一直線に進入できない工夫がなされる。一の門と二の門は、ひとつが高麗門や冠木門で、もう一方が多聞櫓または渡櫓と言った櫓門とするのが一般的。

日本100名城

日本100名城とは、公益財団法人である日本城郭協会による事業のひとつ。日本の文化遺産として、あるいは地域の歴史的シンボルとして、多くの人に城や城跡への関心を高めてもらい、地域文化がより振興することを目指して設定された物である。同協会が2007年(平成19年)に設立40周年を迎えるにあたって、文部科学省・文化庁の後援を得て記念事業の一環として国内の名城を公募し、2006年(平成18年)2月13日に発表した。知名度や文化財、歴史上の重要性、復元の正確性などを審査基準とし、城郭愛好家や専門家などによって100の城を選び抜いた物。全国各地の名城を探訪するときの手がかりとされることも多い。連動企画としてスタンプラリーがある。

布積

布積とは、日本の城の防衛設備である石垣について、石の積み方を表わす用語である。いくつかの細長い石を使って下にある石に均等に重量がかかるように、互い違いに石を配置し、下から順に積み上げていく物。整然とした美しさが魅力である。石垣の積み方は大きく分けると、横目地をまっすぐにして積み重ねていく「整層積」と、石のへこんだ部分に出っ張った部分を落としかけていく「乱層積」があるが、布積は前者に含まれる。石垣が用いられ始めた当初から行なわれていた方法であるが、通常は布積みと乱層積を組み合わせて石垣を造ることが多かった。布積の石垣は、大阪府の大阪城天守台や東京都の江戸城天守台、和歌山県の和歌山城などで見ることができる。

塗籠

塗籠とは、日本に古くから伝わる建築工法のひとつ。柱や軒など木材で造られた建物を、土などを厚く塗った壁で囲むような部屋を意味する。近世より前の建物に多く、平安時代には初期の寝殿造りにおいて寝室として使われた部屋が塗籠であることが多かった。特に清涼殿(せいりょうでん)で天皇が使った物は、夜の御殿(よるのおとど)と呼ばれる。一般の民家では、睡眠をとる部屋だけでなく、衣類や調度品を収納する部屋になることもあり、こうした部屋は納戸(なんど)と言われた。近世以降は火災を防止するための物として、城の天守の壁や町家建築の外壁に塗籠が取り入れられている。現存する城や寺、神社の塀などに見ることができる。

根石

根石とは、日本の城の防衛設備である石垣に関する用語で、積まれた石のなかでも最も下に位置する主要石のことである。石垣を支える重要な役割を持つ基盤。その量や据え方を決めることを「根どり」と言い、根どりが悪いために石垣が崩壊することもあるため、石奉行の指示のもとで石工頭が苦心しながら行なった。根石を据えるときには、まず根石を置くところにある泥土や砂礫を取り除き、地下水が出ることがあれば水筋を変えると言った作業をする。そのあと、地堀りをして根石を据えるが、地盤が弱いときには捨て石を置いたり丸太を敷いたりする。根石のうち、石垣の表面に大なり小なり姿が見える物は「出しの根石」と呼ばれ、裏では「受けの根石」がそれを支える構造になっている。

根小屋

根小屋とは、日本で中世に生まれた集落の形態のひとつ。山のふもとあたりに建てられた屋敷や館の群れを意味する。根古谷、寝古屋とも書く。それより以前には、一定の地域において有力名主 (みょうしゅ)らが土地を開拓し、その名主の家族や血縁関係者や使用人などの住まいが集まっていた豪族屋敷村(ごうぞくやしきむら)と言う物があったが、これが根小屋のもとになっていると考えられる。根小屋にある館は根小屋城と呼ばれる。山の頂上に築かれる山城ではひとつずつの曲輪(くるわ)の広さが制限されるので、城主や家来たちの住まいを山のふもとに置くようになったことも、根小屋が発展した理由とされる。根小屋城の例としては、神奈川県の築井(つくい)城などがある。

練塀

練塀とは、日本に古くから伝わる製法のひとつによる塀のこと。仮枠の間に粘土と瓦を交互に積んで打ち固めて造られる。旧来の土の塀をより強固にするため、瓦を土の間に差し込んで丈夫にし、土を早く締める目的があった。瓦が見えなくなる程表面に粘土を塗り込めるのがもともとの方法であるが、見た目の美しさなどから、あえて瓦の筋が見えるようにすることも多い。練塀は、現存する寺や神社などで見かけることができる。愛知県の熱田神宮には、織田信長が桶狭間の戦いに勝利したことのお礼として奉納したとされる練塀、通称「信長塀」が現存している。木の骨組みがなく、石垣の縁に使うには仮枠を組むのが難しいため、城の塀として造られることは少なかった。

軒唐破風

軒唐破風とは、城をはじめ日本の伝統建築の屋根に見られる破風を、形状によって分類したときの種類のひとつである。破風とは、2つの方向に傾斜する屋根が合わさって、横から見ると三角形をなすような部分のことを言う。なかでも三角形のてっぺん部分が凸状にむくり、両サイドの端が凹状に反った形状の物を唐破風と呼び、軒唐破風はその一種。唐破風は構造上必要な屋根の造りに取り入れることもできるが、屋根の軒先の一部だけを盛り上げるように造るのが軒唐破風である。軒唐破風は寺社に多く取り入れられたが、彦根城をはじめとする城の屋根にも用いられた。城では外観の美しさを表現する意味合いから、天守の屋根に設けられるのが一般的である。

野面積

野面積とは、日本の城に関する用語のひとつ。石垣を積み方で分類したときの一種である。石垣は土塁の表面を石で固めて強化した防御用の構造物で、石の積み方はいくつかの方法が考案されていた。なかでも、野面積は自然の石をそのまま加工せずに積む物で、主要石同士の間にできた隙間には、間詰石(あいづめいし)と呼ばれる小さな石を詰めて仕上げる。石垣が造られ始めた初期のころに多く採用された方法で、城をできるだけ早く建てたいときや建築費用を抑えたいときなどに適する。ただし、石を整形してから積み上げる方法よりも主要石同士の隙間が多く、敵は石垣を登りやすくなる。野面積の石垣が採用された城としては、愛知県の岡崎城などがある。

登り石垣

登り石垣とは、日本の城における石垣の建造方法のひとつである。山上に天守閣があり、山のふもとに兵士の住む建物などがある城において、山頂の天守閣とふもとの施設を囲むように、山の斜面の両側にも石垣を構築した物。中国の「万里の長城」のように、山腹から敵が侵入するのを防ぐことに役立つ。豊臣秀吉が16世紀後半に朝鮮出兵を行なった際、日本遠征軍が使う安骨浦(アンゴルポ)城の築城において考案された手法と伝わる。この朝鮮出兵に参加していた脇坂安治や加藤嘉明らがその手法を持ち帰って、国内の築城にも生かした。実際には登り石垣が国内で造られた例は非常に少なく、現存する十数ヵ所ある天守の城郭のなかでも、その存在が確認されているのは愛媛県の松山城と滋賀県の彦根城だけである。

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