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日本の城用語集(た行)



日本の城に関する情報を検索できる「城ワールド」が、日本の城に関する用語(た行)をご紹介します。お城用語などの予備知識があれば観光の面白さも数倍に!日本の城のことがよくわかる日本の城用語集をご活用下さい!

太鼓櫓

太鼓櫓とは、日本の城において時刻を知らせるために造られた櫓のことである。櫓とは物見や倉庫などに使われる単層や重層からなる建物で、なかでも太鼓櫓はなかに太鼓が納められているのが特徴。当時は時計が存在していなかったことなどから、一国一城令が出されたあとにはほとんどの城に太鼓櫓が設置されていた。中世前期には人が登場した合図を送る役割も持ち、「人呼びの丘」とも呼ばれている。陣太鼓としても使われることがあった。また、太鼓櫓を建てず、代わりに鐘楼をもって時報を行なった城もある。太鼓櫓は戦の際の主な出入り口となる虎口(こぐち)にある多聞櫓や、虎口付近の桝形(ますがた)のなかに配置することが多かった。現存する太鼓櫓としては、静岡県の掛川城の物が知られる。

対城

対城とは、日本の戦国時代において、城攻めのときに攻める側の軍が相手に対して陣を敷くために、攻略を目指す城の近くに築く臨時の城のことである。向城、付城などと同じ意味で使われる。城を守る側が籠城作戦を採る場合などに、攻め手が築城することがある。短い期間で築城され、城攻めが済んだあとには取り壊されるのが一般的。対城の代表的な例としては、1590年(天正18年)に豊臣秀吉が北条氏を制圧しようとした小田原攻めの際の石垣山城がある。この城は石垣山一夜城とも呼ばれ、わずかな期間では到底建造できない程の立派な城を秀吉が一晩で造り上げたように見せたことで、小田原城のなかにいた将兵が衝撃を受け、士気を失ったと言う逸話を残している。

たたき土居

たたき土居とは、日本の城において築かれたことがある防衛設備のひとつ。土居は大きくは芝を混ぜ込む芝土居(しばどい)と、たたき土居に2分されるが、後者は土砂をそのまま盛って叩いて固めた土居のことである。粘土や小石を混ぜながら土砂を叩いては乾燥させ、さらに土砂を乗せて叩いて固めて層を築くことで強度を高める。傾斜角としては45°前後。たたき土居を断面で見ると、45°の傾斜を持つ部分が内側と外側に3間(けん)ずつ、その間に馬踏みと呼ばれる兵が歩けるような土居上の通路を設け、この馬踏みが2間となるのが標準とされる。高さも3間が目安である。換算すると1間は182cmで、断面の幅は14m強、高さ5m強である。

竪堀

堅堀とは、日本の城に関する用語のひとつで、堀の一種。堀とは、地面を細長く掘った構造のことを意味し、戦国時代には敵が城に攻め入ったり、動物が侵入したりするのを防ぐ目的でほとんどの城で採用された。通常、城の堀は本丸など中核施設を取り囲むような位置にぐるりとめぐらされるが、堅堀は山城などにおいて山の上から下方向へ、縦に造られるのが特徴である。これにより、敵が斜面をつたって山上の城へ押し寄せたり、山腹で横に移動したりするのを阻むのに役立つ。中世の山城では石垣がなく、防御用の施設として堅堀を造ることが多かった。堅堀には数本を並べた畝状堅堀や、いくつかの堀を横に連接した連続堅堀がある。岐阜県の市場城の跡地など、各地で堅堀を見ることができる。

多聞櫓

多聞櫓とは、日本の城の構成要素である櫓を、形状で分類したときの種類のひとつである。櫓とは、敵情視察や武器などの収蔵、防備などの役割もかね備えた建物のこと。なかでも、多聞櫓は石などでできた塁の上に乗せた細長い長屋造のことを意味する。1階建ての物が多いが、複数層の物もある。単独で建てられたり、天守と他の櫓、あるいは櫓と城門など、建物同士をつなぐ位置に造られて、廊下兼倉庫の役割を持ったりした。その始まりは、織田信長を2度裏切ったことで知られる松永久秀が1560年(永禄3年)に築いた居城「多聞山城」にある。現存する多聞櫓は東京都の江戸城、三重県の亀山城の各本丸にある物など。

台場

台場とは、江戸時代末期に、国外からの敵の襲来に対応できるよう幕府によって建造された要塞のこと。海上を守るために海岸や河岸に城が築かれ、陸上から異国船の打払いを行なうことを目的として砲台が置かれた。大阪府の堺など日本各地の要所に築かれたが、一度も使われずに終わった物がほとんどである。なかでも東京都にあった品川台場は、ペリーの来航に備えた物で、今でも「お台場」の通称が残る。神奈川台場も品川台場と同じく、海のなかに小島を造って築かれている。また、幕末から明治初期の戊辰戦争や西南戦争などで建てられた城も台場と呼ばれることがあり、こちらは峠や高台など海岸ではない場所であることも多い。台場の遺構は各地に残っている。

知行

知行とは、中世や近世の日本において、武士に支給される領地のことである。大名から配下の武士に与えられる給与を俸禄(ほうろく)とも言うが、領地を治める権利とそこから得られる収益をもって俸禄とする物が知行である。知行として得た土地は知行所(ちぎょうしょ)、あるいは領地と言う。知行所の価値は、石高(こくだか)によって比較できる。領地経営や農業の不作などの問題があり、石高から推定される物より実際の収入は低いことが多かったが、知行所を支配できる権力を持つことは名誉なことであった。江戸時代には1万石以下の武士がこうした知行所を与えられていた。一方で、土地ではなく米その物によって俸禄とする物は「蔵米」(くらまい)と呼ぶ。

築城

築城とは、城や陣地、砦などを建造すること。築城はまず防御や交易など様々な面を考慮して、土地を探すことから始まる。次にそれぞれの区画である「曲輪」(くるわ)の配置を決めるため、地面に縄を張って間取りが設計される。工事は普請(ふしん)と呼ばれる土木工事が最初で、堀を切ったり土を盛ったりして曲輪の形状を造っていく。石垣がある場合は、石を切ったり運んだり、積み上げたりする作業も加わる。そのあと、天守や櫓、門、御殿、塀などの建築工事へと進む。こうした築城と並行して、城下町が形成されることも。築城にかかる期間は数ヵ月から数年が目安だが、俗に一夜城と呼ばれる墨俣城(すのまたじょう)など数日で築かれたと伝わる城もある。

千鳥破風

千鳥破風とは、城などの日本の建築物において、装飾的に用いられる破風の一種である。破風とは、2方向に傾斜する屋根が合わさって、横から見ると三角形をなす部分のこと。本を伏せたような形の屋根である切妻造(きりつまづくり)の屋根や、下部が寄棟造(よせむねづくり)で上部が切妻造になる入母屋造(いりもやづくり)の屋根では自然と破風ができる。建物の構造上は必要がないものの、外観を良くする目的で屋根の上に添える破風もあり、これを千鳥破風と呼ぶ。天守や櫓などの屋根の上に据えることが多かった。千鳥破風は一見、入母屋破風と似ているが、三角形の下端が屋根の端と一致していないのが特徴。2つ並べた「比翼千鳥破風」、小さめの物を屋根上に据えた「据破風」などの種類がある。

築地塀

築地塀とは、粘土や泥土などを厚く塗って固めた塀で、上に屋根が載せられているのが特徴である。中世や近世の城に採用された例がある。親柱を立てて、表面は漆喰で塗り込める方法が一般的。柱や板を組んで建てた物を骨組みとする場合もあれば、横筋が付けられる場合もある。日本では古くから貴族の邸宅や寺院などに用いられてきたが、そのときには土塁のように泥をつき固めた程度の物であった。次第に城の区画内にも築地塀が登場するようになると、塀の上にはカヤやワラ、板などで屋根が造られた。近世になると城郭における屋根の素材には瓦が多いが、これは松永久秀の居城として知られる奈良県(大和)の多聞城で設けた物が最初と伝わる。

月見櫓

月見櫓とは、日本の城において、風雅を楽しむために建てられた櫓のこと。櫓とは本来は戦闘用の設備であり、高所からの敵の視察や武器などの収蔵、防備などの役割もかね備えた建物である。しかし、戦がなくなった江戸時代になると、大坂城山里曲輪や江戸城の吹上のように戦闘の目的を全く持たない櫓が造られた。こうした類の櫓としては、花見櫓、富士見櫓などもある。月見櫓は多重層の上層の3方向を吹き抜けにしたり、朱塗りの高欄を配したりと見た目にも美しく設計された物もあった。長野県の松本城、岡山県の岡山城に現存しており、他にも滋賀県の彦根城、福井県の福井城、愛知県の名古屋城、福岡県の福岡城、和歌山県の和歌山城、愛媛県の宇和島城など多数の城で建造されている。

着見櫓

着見櫓とは、日本の城において築かれることがあった櫓の1種。櫓とは敵状観察や倉庫などの役割を持つ単層あるは重層の建物である。本来は着到櫓(ちゃくとうやぐら)と言う建物であるが、着見櫓と呼ぶことが多い。戦のときに主な出入り口となる虎口(こぐち)を見張るのが大きな目的である。着到櫓の名は、城兵が出陣をするときに虎口付近に集まってきた兵、特に将兵の到着などを確認したことや、城に入ってくる人の記帳を預かったりしたことから付いた。石川県の金沢城石川門にある物のように城郭エリアのなかでも虎口に設けられるのが一般的だが、標高約717mに立つことで知られる岐阜県の岩村城では全城門に着見櫓が付いていた。

辻馬出

辻馬出とは、日本の城における防御施設のひとつ、馬出(うまだし)の1種である。馬出とは、虎口の門の前に設ける土や石でできた小ぶりの曲輪(囲い)のこと。様々な形状の物が開発されていたが、なかでも辻馬出は2つの虎口を直角にまとめるような形にした馬出である。四角形の隅を凹ませたところに並べた虎口など、城のなかから乗り出すと進行方向が直角に交わる場所などに採用されていた。2つある虎口のいずれの前方防衛もひとつの馬出でかねることができるのが特長である。標準的な形状の辻馬出は残っていないが、やや発展させた形の辻馬出としては青森県の弘前城に現存する北曲輪の物や、三重県にある津城の北の丸・城東の丸などが知られる。

続櫓

続櫓とは、日本の城の構成要素である櫓のなかでも、天守や他の櫓、櫓門などに付属する形で建てられている多聞櫓のことである。特に天守建築に続いている物は付櫓、附櫓と呼ばれる。一階建ての建物であることが多いが、2重層になっている物もあった。続櫓の代表的な例としては、重要文化財にも指定されている佐賀県の佐賀城鯱の門続櫓や、愛媛県の松山城の隠門続櫓、滋賀県彦根城の太鼓門続櫓など。また、石川県の金沢城では「五十間長屋」と呼ばれる横長の櫓が復元されているが、その横に「橋爪門続櫓」がある。門はなくなっているが、かつては続櫓の隣に橋爪門二の門と言う櫓門があったことから名前が残っている。

詰めの城

詰めの城とは、いくつかの意味を持つが、一般的には日本の城における最終的な拠点となる城のことである。城はもともと領主らが日常生活を送る館と、戦をするときに便利な機能を備えた防衛施設に分けて建てられていたが、前者は平地にあり、後者は「詰めの城」として奥の山地などに築かれている物が多かった。こうした詰めの城は中世の城に採用されていたが、近世に入っても岡山県の備中松山城などに存在していた。また、城の区域内における中核的な曲輪(囲い)である本丸を詰めの城と呼ぶこともあれば、本丸とは別途設けておいた別の曲輪をそれにあてる場合もある。本城が敵の攻撃によって落ちてしまったときに、さらに背後に用意されている城を意味することもあった。

剣塀

剣塀とは、日本の城において、塀の軒先に先の尖った鉄の棒や、刀、槍など穂状の刃物を突き出させた物を意味する。城のなかに忍びの者などがこっそりと侵入するのを防止する目的がある。似たような用語に「忍(しの)び返し」があるが、剣塀は忍び返しの1種。建物の一部や塀、あるいは建物全体をそうした仕掛けにした物も含む。現存する代表的な剣塀の例としては、愛知県の名古屋城天守閣の渡り塀にある物が有名で、ここでは軒桁に約30cmの槍の穂先が塀と垂直な方向へ突き出すようにして横一列にずらりと並べられている。

悌郭式縄張

梯郭式縄張とは、日本の城における設計方法の一種である。曲輪(くるわ)などの配置方法によって区分される物。曲輪とは、城郭の敷地内を区切る囲い、またはその範囲内のことであり、当時はこうした曲輪などを構築するために縄を張って作業をし、そうすることを縄張(なわばり)と呼んだ。縄張は大きく分けると連郭式、輪郭式、梯郭式の3パターンがあるが、なかでも梯郭式縄張とは本丸の2方向、あるいは3方向を二の丸が取り囲んでいるような設計のことを意味する。近世においては主流の縄張パターンで、特に本丸のうしろに谷や川などの地形がある場所が適する。梯郭式縄張の城としては、岡山県の岡山城や広島県の広島城などが知られる。

鉄砲狭間

鉄砲狭間とは、日本の城における設備のひとつである。銃眼(じゅうがん)とも言う。攻めて来る敵を撃退するために矢や鉄砲を放つ目的で、城の建物の壁などに設けられる小さな窓のような穴、「狭間」(さま、はざま)の1種である。狭間のなかでも鉄砲を撃つために造られた物が鉄砲狭間である。一方で、矢を放つことを主な目的とした物は矢狭間、あるいは箭眼(せんがん)とも言う。狭間は丸や三角など様々な形があるが、鉄砲狭間は三角に形成するのが一般的。石川県の金沢城の物のように、外からは鉄砲狭間と分からないように表面を周囲の壁を同様の材で塗っておき、必要なときには表面の覆いを粉砕して、鉄砲を撃てる状態にした隠狭間もあった。

寺勾配

寺勾配とは、日本の城の防御施設である石垣について、その勾配の方法を分類したときの種類のひとつである。大きくは宮勾配(みやこうばい)と寺勾配があり、名前は神社(宮)と寺の屋根の形式にそれぞれ由来する。このうち、寺勾配は石垣の外側のラインが直線的になった物を言う。自然の石をそのまま整形せずに使う野面積(のづらづ)みによって石垣を造る場合には、この寺勾配になることがほとんどである。弓上の曲線を描き、上に行く程反り返りが急な角度になる宮勾配に比べると、寺勾配は石垣の角度に変化がないので敵兵が石垣に登りやすく、防御力は低い。寺勾配の石垣の代表的な例としては愛媛県の松山城の物などがある。

天下普請

天下普請とは、安土桃山時代や江戸時代において天下統一を果たした者が、他の大名の財力を消耗させるために行なった築城・修理補佐の命令である。豊臣秀吉の伏見城や名護屋城もこれに該当するが、1603年(慶長8年)に江戸幕府を開いた徳川家康と、2代目・3代目将軍である秀忠と家光が行なった江戸城、名古屋城、大坂城などが天下普請の城としては代表格。他に二条城、彦根城、福井城、駿府城などもこの対象となった。天下普請の実際の作業では、大名家同士の競争心を煽るために共同作業を一斉に実施し、分担カ所を細分化して割り当てる「割普請」(わりぶしん)と呼ばれる方法などが採られている。こうした作業にかかる材料費や人件費など各大名が負担した。

天守閣

天守閣とは、日本の城郭建築のなかでも中核となる施設である。天守閣は明治時代以降の呼び名であり、それ以前は天守、殿守、天主などと称されていた。城郭のなかでは最も高層の建築物とされるのが一般的。天守閣が果たす機能は、城の主が指揮を執る場所になることの他に、儀式を行なったり、高い位置から遠くを監視したり、物資を収納しておく倉庫になることなどがある。城主の権威の象徴としての役割もあり、城郭のなかでも最も格の高い櫓(やぐら)と言える。天守閣は日本の城に欠かせない物としてイメージされることがあるが、実際には安土桃山時代以降に広まった物であり、天守閣を持たない城も多い。現存する天守閣がある城は青森県の弘前城、長野県の松本城、福井県の丸岡城、愛知県の犬山城など12ヵ所。この他、大阪府の大阪城のように復興または復元された天守閣が建っているケースもある。

天端石

天端石とは、日本の城における石垣の一部である。石垣のなかでも一番上に位置する石のことを意味する。石垣とは、石を使って高く積み上げた塁のことで城の防衛設備。最上部は天端(てんば)と呼ばれる部分で地面と平行に造り、側面は天端に対して垂直かそれに近い急勾配を付ける。側面の表面には大きな石を配して固めるが、これらの大石はそれぞれが役割を持った役石である。内側には直径10〜30cm程度の小石が多数詰め込まれ、排水なども行なえる。三角形に整形した三角天端、五角形の五角天端など、形状によって分類することもある。また、隅にある物は特に隅天端(すみてんば)と呼ばれる。

天秤櫓

天秤櫓とは、滋賀県にある彦根城のなかにある櫓のひとつ。両サイドに2階建ての櫓、その中央に門が開く建造物がひと続きになって、上から見ると全体がコの字形をしている。同様の構造の櫓は他に例がない。天秤が両端に荷物をぶら下げる姿に似ていることから、江戸時代より天秤櫓の名称で呼ばれてきた。ただし、厳密には両サイドの2つの櫓は棟の方向や格子窓の数が異なるなど、左右対称にはなっていない。天秤櫓は彦根城のなかでも大手門と表門からの道が合流する要所に置かれており、堅固に造られたと考えられる。この要所には橋が架かっているが、橋がなくなれば高い石垣を持つ天秤櫓を登らないと城内へ侵入できない構造になっていた。実は天秤櫓は長浜城にあった大手門が移築された物とする説もあるが、真偽は明らかになっていない。

転用石

転用石とは、日本の城において、もともとは違う目的に使われていたものの、石垣に組み込まれることになった石のことを意味する。転用石として採用された物は墓石や石臼、石仏や燈籠、五輪塔と言った寺社にある石でできた造形物などが多く、寺院や領民などから収集されている。転用石が必要になる背景には、戦国時代に入って城や石垣が増加して石材が不足したこと、急な築城で予定の日程までに石が調達できなかったときなどに発生したとされる。また、攻め落とした領地に新しい主が来たときには、かつての領主の墓地から石を集めて転用石とすることもあり、これには権力者の威厳を表わす意図もあったと考えられる。転用石がたくさん使われた城としては京都府の福知山城、奈良県の大和郡山城などがある。

出城

出城とは、日本の城において、あるひとつの城に地形的に付属しているような場所にある城や砦、あるいは城から飛び出したような形状で設けられている曲輪のことを言う。出城の位置は、敵に対する戦略上の必要性から決定されることが多い。また、本城(ほんじょう)とは別に、領地のなかにおいて重要な場所に置かれた城を出城と呼ぶことがある。この場合は、隣接する敵国との境界線あたりに設けられるのが一般的。本城とは、領地内にある他の城に補助されながらその領地の中核として機能する城のこと。本城を守るように造られた城や陣屋、砦などを支城、あるいは枝城と言うが、出城はこれに含まれる物のひとつと捉えられたり、支城と同じ意味の語として使われたりする。

外城制

外城制とは、安土桃山時代から江戸時代にかけ、薩摩藩において独自に実施された制度の名称である。領地のなかを外城と言う区画に分けた物で、それぞれの外城に地頭や武士を配置して軍事や政治などを行なうようにした物。ひとつの外城に数村、多いところでは数十村が含まれる。薩摩藩を支配していた島津氏が独自に行なった物で、幕府の制度とは関係がない。1615年(慶長20年)に江戸幕府より一国一城令が公布されると、島津氏の居城であった鶴丸城の他の城は廃止されたが、外城制その物は残り、各区域を統治する役の者が鶴丸城下に住みながら地頭を務めた。外城と言う用語は、内城である鶴丸城に対する物である。

砦とは、外から敵が攻めて来るのを防ぐために設けられた建造物のことで、要塞と同様の意味の用語として使われる。取出、取手、塞の漢字で表現されることもある。城が多く建てられた戦国時代には、砦は通常イメージされる城よりも規模の小さな城であったり、柵で囲った塁などの形状で建造されたりした。各領地には他の城に補助されながらその領地の中核として機能する本城(ほんじょう)と言う城が存在していたが、この本城と地形的に付属している出城となったり、戦略上の必要な場所に防衛施設として設けられたりしていた。ここから転じて「最後の砦」などの用語で一般的に使われ続け、勝負や趨勢などの行方を左右する重要な場所や物事と言う意味を持つ。

胴木

胴木とは、日本の城における石垣の構成要素である木材のこと。石垣とは、城の守備力を高めるために、石を使って高く積み上げた塁のことである。側面の表面には大きな石を配して固め、内側には直径10〜30cm程度の小石を多数詰め込んで構成する。最下部には根石と呼ばれる大石を敷くが、根石が石の重さや地盤の弱さなどによって沈下したり他の石とのバランスが悪くなったりすると、石垣全体が崩壊することもある。こうした根石のバランスを保つために、その下に敷かれるのが胴木である。胴木には土や水による腐食に強い松の丸太が適しているとされ、質の良い物では数百年から千年くらいは使い続けることができる。

独立式天守

独立式天守とは、日本の城において中核施設とされる天守について、平面構成に注目して分類したときの種類のひとつである。天守建築は防御力を上げるために、小天守や櫓などの建物を連結させて複雑な構造にすることがあった。平面構造で分類すると独立式天守・複合式天守・連結式天守・複連結式天守・複合連結式天守・連立式天守があり、なかでも独立式天守は、付属する建物がない形式の天守を意味する。独立式天守の代表的な例としては、江戸幕府の3代目将軍である徳川家光の江戸城などが知られる。また、現存する物では愛媛県の宇和島城や高知県の高知城の天守、青森県の弘前城御三階櫓などがある。復興された物だが、長野県の高島城や長崎県の島原城でも独立式天守の姿を見ることができる。

土橋

土橋とは、一般的には木の橋をベースにしながら土をかけて整えた橋のことを意味する。中世や近世の城における土橋はやや意味が異なり、虎口(こぐち)の前にあって堀を横断する物で、通路となるところの地面を掘り残した形状の橋を指す。土居や石垣で築かれることが多く、堀のなかに水を入れる水堀である場合は、土橋を挟んで右側は水量を増やし、逆に左側は水量を減らすなど、水位を調整することもできた。敵が船で移動するのを防ぐ目的もあったと考えられる。通常の架け橋のように撤去することはできないが、いつでも出撃しやすいので攻撃本位の橋との解釈もある。代表的な土橋の例としては、東京都の江戸城牛込門・半蔵門・清水門・田安門、大阪府の大阪城桜門など。

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