ご希望の日本の城情報を無料で検索できます。

施設検索/ホームメイト・リサーチTOP

城ワールド
日本の城
トップページへ戻る
トップページへ戻る

日本の城用語集(か行)



日本の城に関する情報を検索できる「城ワールド」が、日本の城に関する用語(か行)をご紹介します。お城用語などの予備知識があれば観光の面白さも数倍に!日本の城のことがよくわかる日本の城用語集をご活用下さい!

改易

改易とは、組織や団体のなかで行なわれる人事制度のひとつである。役職に就いている人を解職して、新しく別の人をその職に任ずること。日本では律令制度が実践されたころから用語として存在した。鎌倉時代や室町時代には守護・地頭の職を変更することを指し、江戸時代には大名や旗本といった武士から身分を剥奪して領地や城などを没収することを意味していた。例えば、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いのあとには、石田三成や小西行長、宇喜多秀家など88の大名家が改易された。江戸時代に入って戦がなくなったときにも、世嗣断絶と幕法違反によって改易が実施されている。なかには、関ヶ原の戦いのあとに広島の領地を得ていたが、水害で崩れた城の一部を幕府に無断で修築したことで改易にあったと言う福島正則のような例もある。

掻揚城

掻揚城とは、日本の城のなかでも守備設備がシンプルで、城の周りに堀や土居だけを置いた城や砦のことを意味する。掻上城、あるいは掻き上げの城などとも書く。なかに水を入れないタイプの空堀を造って、その堀を掘った土で土塁を築く。城は、断崖絶壁や谷など、地勢が険しくなっているところを天然の要塞として生かして設計することがあるが、掻揚城はこうした地勢の利をあまり持たない物を指す。邸宅の多くが掻揚城であり、特に平地に設けられた方形の館はこの形状の定番とされていた。また、長野県松本市にはその形状がそのまま名称になった掻揚城と言う城があり、こちらは街道の峠の入口にある要所のひとつで、1553年(天文22年)に武田信玄によって攻略されたことで知られる。

角馬出

角馬出とは、日本の城における防御装置の名称である。馬出(うまだし)の一種。馬出とは虎口(こぐち)の門の外に設けられた、土や石でできた小ぶりの曲輪(囲い)で、敵の攻撃から虎口を守り、城の兵の出入りをしやすくするための物である。虎口とは、城郭内にある複数の門のうち、戦の際の出入り口となる場所のこと。馬出は様々な形状が考案されたが、なかでも角馬出は四角形にした曲輪の一部に狭い出入り口を設けた物である。近世の馬出はほとんどがこれであった。角馬出に対する物として半円形の丸馬出がある。丸馬出は武田氏の領国で良く使われ、角馬出は北条氏の領国で造られた物として知られる。角馬出が見られる城としては、広島県の広島城などがある。

角おとし

角おとしとは、日本の城の敷地内における塁の屈折の種類を表わす用語である。日本の城では虎口(こぐち)や塁に敵が近付いたときに側面から矢で射撃できるよう、塁面の一部を屈折させたり曲輪を設けたりする「横矢掛り」(よこやかがり)と言う仕掛けを造ることがあった。角おとしは横矢掛りの一種で、隅落(すみおとし)とも言う。城のなかから塁面に対して矢を打てるように考案された物で、曲輪の角を斜めに削ったような形状となる。四角形の角があるよりも、斜めに切り落とすことで前方が良く見渡せて守備がしやすくなるような場所で用いられた。似たような形で、四角形の角を内側へ直角に凹ませた物は「入角」(いりすみ)、あるいは「入隅」(いりすみ)と言う。

隠石落

隠石落とは、日本の城における防御施設の名称である。石落としの一種。石落としとは、天守や櫓、塀の一部に設ける出っ張った形の角状構造物で、ここから石垣の真下を監視し、石などを落としてよじ登って来る敵を攻撃できる。石の他に槍で突いたり、鉄砲を撃ったりすることもあった。普段は出口を蓋で塞いでおき、必要なときだけ蓋を開けて使う物も多い。こうした石落としのなかでも、軒裏などに設けて、外から見たときに気付かれにくくした物を隠石落と呼ぶ。例えば、愛知県にある名古屋城では、天守閣の破風の下に石落としを造り、軒裏でその出口をカバーしている。他に隠石落が造られた例としては、兵庫県の姫路城「ぬの門」などがある。

隠狭間

隠狭間とは、日本の城を構成する要素のひとつである「狭間」(さま)の一種。狭間とは、外から攻めてくる敵を城のなかから矢や鉄砲を発射して撃退するために造られた小さな窓のような穴のことである。石垣や堀、建物の壁などに設けられた。なかでも、平時は狭間と分からないようにしておき、戦で使うときにだけ開けて使用する物を隠狭間と言う。例えば、姫路城の大天守下の多聞櫓北面にある隠狭間は、建物の壁と同じ材質で表面を塗っておき、なかから打ち破って使う物。石川県の金沢城太鼓塀の隠狭間は、海鼠壁の平瓦をいくつか内側から外せるようにした物である。名古屋城大天守には、よじ登って来る敵を攻撃できる石落としのような隠狭間がある。

重ね坂

重ね坂とは、日本の城郭の区域内に用いられる坂道、あるいは石段の名称である。城には土や石などで塁を造り、そこを上り下りできるようにする通路「武者走り」があったが、その一種である。武者走りには重ね坂、合坂(あいさか)、雁木坂(がんぎざか)などがあるが、なかでも重ね坂は、塁の側面に坂道や石でできた階段を設け、さらにそれと平行に坂道や石段を造った物である。坂道や石段を2つ、V字型に設ける合坂では、双方から人が下りてくると互いに向かい合うような構成になるが、重ね板では同方向へ進むために戦時中の兵の上り下りがスムーズに行なえる。そのため、スペース上の制限などがない限り、合坂よりも重ね板が好まれた。

片薬研堀

片薬研堀とは、日本の城の防御設備である堀について、形状で分類したときの種類のひとつ。堀は地面の一部を深く掘ってくり抜き、城や館を囲むようにしたり曲輪を区切ったりする物。敵がその向こうへ侵入するのを妨げたり、守備側の兵がそこに隠れて移動したりするのに使われる。堀の断面の形状によって箱堀、薬研堀、片薬研堀、毛抜堀の4つに分けられる。なかでも片薬研堀は、V字形の片方を変形させたような形の物で、一方の壁はほぼ垂直に、もう一方の壁は勾配をもたせて掘る物。他の形状の堀に比べると、なかに落ちると登りにくいので防御力が高い反面、崩れやすいのがデメリットである。片薬研堀は城の敷地内では、外郭や囲郭などに採用されることが多い。

冠木門

冠木門とは、日本の城の門について、形状で分類したときの種類のひとつで、屋根が付けられていない木の戸のこと。支柱の上に横材を渡しただけのようなシンプルな形式の門で、上世や中世の城門では多くがこの冠木門であった。冠木とは、2本の支柱の上に横向きに掛ける木材のことである。冠木門は、次第に屋根が設けられた物も登場するなど複雑化していく。近世では、桝形(ますがた)門の一の門に採用されることもあった。桝形門は四角型の塀で囲むように作る門のことで、2つの門を備えており、一の門は外から城へ入るときに最初にくぐる門である。この一の門は高麗門と言う建築様式が多かったため、高麗門のことを冠木門と呼ぶこともあった。

構とは、日本の城において、攻めて来る敵に対する防御のために設けられた区画のこと。曲輪(くるわ)と同様の意味を持つこともある。曲輪とは日本の城の区域内にいくつか並べられる仕切りや囲い、あるいはその範囲内のスペースのこと。構は総構(そうがまえ)と言う用語にして使われることが多い。これはある城について城下町も含めてその全体の区画を土塁や堀などで囲む物のことで、すなわち惣曲輪(そうぐるわ)の意味である。また、構は造りや構造のことを指す場合もあり、外観のことを「城構え」と称したり、規模の小さい城のことを「構えが小さい」と述べたりする。さらに、戦闘の際には、その状況に応じて姿勢を整えることも「構え」と言う。

烏城

烏城とは、日本の城のうち、外観を黒く塗った城に対して用いられる用語である。白壁が美しく白鷺(しらさぎ)城と呼ばれる姫路城に相対する言葉としても使われる。「うじょう」とも読む。烏城の代表格は岡山県の岡山城。長野県の松本城も黒塗り壁で知られ、深志城の別名を持つが、烏城と称されることがある。黒い城は豊臣秀吉が好んで建て、秀吉の時代には白漆喰の壁を全面に使うのではなく、防腐材として黒漆や柿渋を塗る方法がいくつかの城で採用されている。例えば、初代の大坂城の天守は黒板壁が使われていた。松本城では天守の外壁は2色使いになっており、いずれの階も上部は白壁だが、雨が染みやすい下部は黒漆で塗った下見板で覆っている。

唐造

唐造とは、日本の城のなかでも中核施設である天守について、建築様式で分類したときの種類のひとつである。上下の層に通し柱があり、台形のように下層から上層にかけて規則的に面積が狭くなる設計の天守を「層塔型天守」と言うが、これの変形が唐造の天守である。層塔型天守のように、全層が一体となっているが、一番上の層がそのすぐ下にある層よりも広いか同じになっている物を指す。なかには、山口県の岩国城のように最上層ではない層が大きく張り出した造りの物もあった。変わった形であることから、当時、新しい物に対して付けられる漢字であった「唐」が用いられた。南蛮造りとも言う。唐造の天守の現存例はないが、香川県の高松城などで採用されていた。

唐破風

唐破風とは、日本の伝統的な建築物の屋根に見られる破風の一種である。破風とは、2方向に傾斜する屋根が頂点であわさって、横から見ると三角形をなす部分のこと。唐破風は三角形のてっぺん部分が凸状にむくり、両サイドの端が凹状に反った形状で、カーブをもった優美で装飾性が高い破風として知られる。寺社に多く取り入れられたが、彦根城や姫路城など城の屋根に用いられることもあった。外観の美しさを表現する意味合いで天守の重要な場所に設けられるのが一般的。唐破風は形状によって分類でき、構造上必要な屋根の造りに取り入れた唐破風造の他、屋根の軒先の一部を盛り上げるように造る軒唐破風、建物の屋根とは独立する形で屋根上に置かれた向(むこう)唐破風などがある。

空堀

空堀とは、堀の一種である。堀とは、地面を細長く掘った構造のこと。日本では弥生時代の遺跡からも発掘される程、古くから普及していた物である。戦国時代には敵が城へ攻め入ったり、動物がなかへ侵入したりするのを防ぐ目的で、ほとんどの城において採用されていた。城の堀の場合、区域一体をぐるりと囲むように、深く掘られるのが一般的。さらに城の内部で本丸などの曲輪を囲む物も多い。なかでも空堀は、堀のなかに水を入れていない物で、壕とも書く。城を守る側の兵が通路として使うこともあった。空堀の内部はV字型であったり、台形を逆さまにしたような形状であったりといくつかのパターンがある。中世の堀は空堀が主流で、近世でも山城などでは空堀がよく採用されていた。

搦手

搦手とは、日本の城に関する用語のひとつ。城の裏方のことである。野戦をするときに敵の背後にまわりこんで逃げる敵兵を搦め捕ることが名称の由来になっている。この搦手にある門を「搦手門」と呼ぶ。これに対して、城の正面のことを「大手」あるいは「追手」と言い、こちらには大手門(追手門)が置かれる。多くの日本の城では、攻められて籠城するときに戦闘を効率的に行なうため、大手門付近に敵を寄せ付け、搦手門から打って出た城兵で追い詰める、と言う作戦が基本であった。地勢に特に問題がない場合、搦手は北方に、大手は南方に構えるのが一般的である。また、搦手門は城を守る側が戦で負けそうなときに、脱出を図るための出入り口にもなった。

搦手門

搦手門とは、日本の城郭のなかにいくつか設置される門のなかのひとつ。城の裏方のことを搦手(からめて)と呼ぶが、ここに配置される門のことである。搦手と言う名称は、野戦をするときに敵の背後にまわりこんで逃げる敵兵を搦め捕る場所であることに由来している。これに対して、城の正面を意味する「大手」あるいは「追手」にある門は大手門(追手門)と言う。日本の城は、籠城作戦の際に大手門付近に敵を寄せ付け、搦手門から打って出た城兵で追い詰める、と言う手法が実行できるように設計されている。また、城を守る側が戦で負けそうなときに、城主らは搦手門から外へ脱出できるようになっていた。威圧的な大手門に比べ、搦手門は簡素な造りであることが多い。

雁木坂

雁木坂とは、日本の城郭に用いられる坂道、あるいは石段の名称。城には土や石などで防護用の塁を造ってあったが、そこには塁を上り下りするための通路「武者走り」も必要であった。武者走りにはいくつか種類があり、重ね坂(かさねざか)、合坂(あいさか)の他、雁木坂などがある。雁木坂は、塁が細長く伸びる方向に対して、垂直な方向に進んで上り下りをするタイプの坂、あるいは石製の階段である。鴈木坂とも書く。たくさんの兵がスピーディに移動できるように幅広く設計されるのが一般的。桝形門の渡櫓(わたりやぐら)への通路として使われる点も特徴である。雁木坂は、江戸城の清水門などで、往時のままの物を見ることができる。

亀甲積

亀甲積とは、日本の城の防衛設備である石垣に関する用語で、石の積み方の一種である。六角形に切った石を亀の甲羅のような形状に隙間なく積み上げる物を意味する。亀の甲羅がハチの巣の形に似ていることから、蜂ノ巣積とも呼ばれる。主要石となる大きな石の形をあらかじめ整えておき、横目地をまっすぐにして積み重ねていく整層積に含まれる方法である。四角形の石を組み合わせるよりも周囲にかかる石の重量が分散されるため、崩れにくくなるのが特長。ただし、加工に手間がかかるため、経済的にも時間的にもゆとりがある場合にのみ施工可能になる。北海道の松前城本丸の天守台や、京都府の二条城、東京都の江戸城の大手門で亀甲積の石垣が見られる。

居城

居城とは、その領地の主が普段住んでいる城のことである。領主が拠点としている城のことを指す場合もある。初期には領主が日常生活を送る建物を館(居館)とし、近くに防御力のある山城や支城などを設けるのが一般的だった。しかし、戦国時代後期になると有事にも平時にも対応できるよう、居館と城郭が一体化した城が造られるようになる。居城は状況に応じて変更することが多く、例えば、織田信長には5つの居城があった。生まれ育った那古屋城を始めとし、桶狭間の戦いのときに拠点となった清州城、美濃攻めの時期に数年間暮らした小牧山城、美濃攻めの成功によって得た岐阜城(稲葉山城)と移り住んだ。最終的には、天下人である権威の象徴として築いたとも言われる安土城を居城としている。

切岸

切岸とは、山地などの斜面の土を垂直に近い角度で削り落とし、人の手によって断崖絶壁とした構造のこと。鎌倉時代から戦国時代に造られた日本の城において、敵が城内へ攻め込むのを防ぐ目的で造られた。特に山の頂上に設けられる山城などで、敵が容易に登って来られないようにその周囲に切岸を設けた例が多い。城の周りから城内を見ることが難しく、攻め手にとっては視界を遮られることにもなる。切岸の中段には犬走(いぬばし)りと呼ばれる兵の移動用の通路を設けたり、乱杭を設けたりして防御力を高めていた。山城の切岸の跡が見られるところは、静岡県の高天神城(たかてんじんじょう)や千葉県の万木城(まんぎじょう)など各地にある。

切込接ぎ

切込接ぎとは、日本の城の防御設備である石垣の種類のひとつ。石垣は土塁の表面を石で固めて強化する物で、石の積み方にはいくつかの方法がある。なかでも、切込接ぎは大きな石を事前に加工して形を整え、隙間なく積み上げる方法。自然石をそのまま積む「野面積み」(のづらづみ)や、ある程度整形してから使う「打込接ぎ」(うちこみはぎ)に比べ、石同士の隙間がほぼないことで、敵は石垣を登るのが困難になる。ただし、切込接ぎを採用するには高い財力と技術力が必要とされる。石同士が密着して自然な排水は期待できないので、排水口を設ける工夫もなされた。戦国時代の末期に登場した物で、江戸城の石垣などが切込接ぎの代表格である。

切妻破風

切妻破風とは、日本の伝統的な建築にまつわる用語のひとつである。日本の城や神社などにも採用されることが多い切妻造(きりつまづくり)と言う屋根様式の、妻部分に見られる物である。切妻造は本を開いて伏せたような形の屋根のことであり、建物の側面のうちの幅が狭いほうを妻、広いほうを平と言うが、妻にできる三角の部分のことを切妻破風と呼ぶ。城においては、切妻破風の見栄えを良くしたり威厳を表わしたりするなどの目的で、三角の頂上の内側に懸魚(げきょ)と言う装飾物が施されたことも多かった。切妻破風と似た物に入母屋破風があるが、こちらは切妻造と寄棟造の屋根を合わせたような形をしている入母屋造の屋根の建物にできる破風のことである。

食違

食違とは、日本の城郭において門や城下町などに用いられる防御策のひとつ。城を攻めて来る敵が一直線に進めないように、通路や通り道に突き当たる壁をあえて設ける。例えば、戦のときに出入り口となる虎口に食違が取り入れられることが多い。この場合は虎口を形成する土塁や石垣の端を前後に重なるように配置する。また、城下町においては、整然としたマス目状の道路ではなく段上に道筋を付け、進んだ先で左右どちらかに曲がってから前方へ進む設計にするなどの手法をとる。こうした食違は各地の城郭建築で採用されており、敵がジグザグに進まざるを得なくなって侵入のスピードを落とせる他、外から見たときに城の内部が見通せないと言った防御上のメリットがある。

曲輪

曲輪とは、日本の城に関する用語のひとつ。一定のスペースを区切る囲い、あるいはその範囲内のスペースのことを意味する。敷地内を複数の小さな曲輪で区切るのが日本の城の基本。城下町も含めてその城全体の区画を囲む物は惣曲輪(そうぐるわ)と呼ばれる。古くは敷地内の小さな曲輪同士においてどれが上と言う序列はなかったが、中世以降は一郭、二郭など中核となる物が設定されていく。曲輪の境界には通常、石や土などで囲いが造られる。こうした囲い状の構造物の他、出入り口の外側に土を盛って敵が一直線になかへ攻め込めないようにする馬出(うまだし)のように、防御用の壁として造られた囲いも曲輪と呼ぶことがある。

毛抜堀

毛抜堀とは、日本の城において防御力を高める目的で設けられる堀についての分類のひとつ。堀は城や館を囲んだり曲輪を区切ったりするために、地面の一部を深くくり抜くようにした物。敵が城の内部へ攻め入って来るのを妨いだり、城を守る兵が凹部に隠れて移動したりできる。堀は断面の形状によって箱堀、薬研堀、片薬研堀、毛抜堀の4つに分けられるが、そのなかでも毛抜堀は道具の毛抜きに似た形で、底が丸く、U字型に掘られた物のことである。空堀もあったが、どちらかと言うと水堀に多い。堀の幅は広く取っておきたいものの、底部を兵の通路として使うことはない場所に採用されていた。

懸魚

懸魚とは、城や神社など日本の伝統的な建築物に用いられる装飾のひとつである。切妻造や入母屋造の屋根を持つ建物において、2方向の屋根が交わって三角形をなす部分で、三角のてっぺん内側の上部に懸魚を添える。「げぎょ」、または「けんぎょ」と読む。もともとは火に弱い木造建築に、水とかかわりの深い魚をかたどった飾り物を付けて、火事を封じるまじないの意味で取り付けられた。明治時代以降は一般家庭の住宅でも懸魚が使われるようになった。懸魚は様々なデザインの物が考案されており、それぞれに名称も付けられている。姫路城などにある三花懸魚が城においてはポピュラーであった他、蕪(かぶら)懸魚も多用されていた。

現存天守

現存天守とは、江戸時代までに建築された日本の城のうち、象徴的な建物である天守について分類した用語のひとつ。城の天守は1873年(明治6年)に公布された廃城令や、戦災、天災によってなくなった物が多いが、そうした歴史を経ながらも残され、かつての姿を伝えている天守のことを意味する。現存天守は12基で、青森県の弘前城、長野県の松本城、愛知県の犬山城、福井県の丸岡城、滋賀県の彦根城、兵庫県の姫路城、岡山県の備中松山城、島根県の松江城、香川県の丸亀城、愛媛県の松山城と宇和島城、高知県の高知城である。ただし、創建当時のままで残っていると言う意味ではなく、ほとんどが解体復元工事を施されている。

神籠石

神籠石とは、日本において城が多く建築された戦国時代よりもはるか昔の、上世のころに造られた列石の遺跡のこと。神籠石式山城とも言う。日本最古の正式な歴史書である「日本書紀」や「続日本紀」に記載がなく、遺構でのみ存在が確認される物を神籠石とするのが一般的。石を整然と並べ、谷や山腹を取り囲むように造られた石垣のような構造物である。その目的は神を祀るためであるとする説と、城の防御設備の一部であるとする説があり、1898年(明治31年)に小林庄次郎氏が「霊地として神聖に保たれた地を区別したもの」として筑後・高良山神籠石を学会で紹介したのを皮切りに論争が巻き起こった。九州地方から瀬戸内地方に多く、詳細は不明であるが国の史跡に指定されている箇所もある。

高麗門

高麗門とは、日本の城や寺院建築に用いられる門の建築様式のひとつ。鏡柱と呼ばれる2本の本柱を立て、上部に冠木(かぶき)と言う柱を配して繋ぎ、切妻屋根を架けた物である。鏡柱の後方には控え柱を立てて、こちらも上部にやや小さい切妻屋根を載せる。4本の柱に大きな屋根を架ける薬医門(やくいもん)を簡略化した物であり、豊臣秀吉の時代に城の門として造られ始めた。控え柱のほうの屋根を小さくすることで、守備をする兵にとっての死角を減らす意図があった。城郭の正面出入り口である大手門を高麗門とする例が多い。江戸時代に入ってからは、神社や寺の門などにも広く採用されるようになった。

石高

石高とは、近世の日本において用いられていた、各領地の経済規模や国力を表わす基準である。米の量でその大小を比較できるようになっていて、米に置き換えると、1年間でどれくらいの収入が見込めるかを示す。また、領主にとってはどの程度の収入がある土地を治めているかを示す目安になる。水田はもちろん、畑や山林、屋敷地なども米の獲れ高に換算された。単位は容積を表わす石(こく)・斗(と)・升(しょう)・合(ごう)・勺(しゃく)。酒の量を量るのに使われる1合は180ml=約150gであり、1石は1号の1,000倍であるため、約150kgとなる。実際には各領地には米以外の収入もあるので石高の数値のみでは国力は計れないため、石高は表高(おもてだか)、あるいは草高(くさだか)とも呼ばれた。

国宝五城

国宝五城とは、日本で国宝に指定されている5つの城のことである。国内には天守が現存する城が12ヵ所あるが、なかでも文化的価値がたいへん高い物が国宝に選ばれている。以前より兵庫県の姫路城、滋賀県の彦根城、愛知県の犬山城、長野県の松本城の、計4つの国宝の城について、国宝城郭都市観光協議会が「国宝四城」と総称していたが、2015年(平成27年)に島根県の松江城が国宝に加わったことで「国宝五城」と言う名称が使われるようになった。国宝城郭都市観光協議会は、この5つの城の所在地である5市が連携して、観光客誘致などの目的で設立している組織である。5つの城の天守はすべて江戸時代から現存し、天守内を見学することも可能である。

腰曲輪

腰曲輪とは、日本の城を構成する基本的な要素である曲輪の一種。曲輪とは、一定の区画を仕切る物、あるいはその範囲内のことを意味する。城下町も含めて城全体の区画を囲む物が惣曲輪(そうぐるわ)で、そのなかを複数の曲輪で区切るのが日本の城の一般的な設計スタイルである。こうした曲輪を形式で分類したとき、他の曲輪の側面に設けて補助的な役割を果たす細長い物を腰曲輪と呼ぶ。腰曲輪よりも長い物は帯曲輪(おびぐるわ)と言い、こちらは城の一区画の側面を取り囲む程の規模を持つ。いずれも山城などの山腹部に用いられることが多かった。横幅は長いが奥行が狭いため、敵は一気に大勢の兵で押し寄せにくくなったり、兵がそこで滞ったりする効果が期待できる。

古代山城

古代山城とは、日本で城が多く造られ、記録が残されている戦国時代よりもはるか昔、古代において山に築かれた防衛施設のこと。朝鮮半島や中国の情勢に対応するため、西日本の各地に築造されていた物を総じて古代山城と呼ぶ。山の頂上付近を土塁や石塁で区画した物が遺構として残っている。「朝鮮式山城」(ちょうせんしきさんじょう)と「神籠石式山城」(こうごいししきさんじょう)があり、合わせて28ヵ所の遺構がこれに該当する。飛鳥時代のころから建造されたと推測されるが、日本最古の正規の歴史書である「日本書記」や「続日本書記」にすら記載のない城も多い。朝鮮式山城とされる香川県の屋嶋城(やしまのき)、福岡県の鹿毛馬(かげのま)神籠石など、国の史跡に指定されている箇所もある。

牛蒡積

牛蒡積とは、日本の城にある石垣の、石を積む手法のひとつである。自然石や山から切り出したままの石を野面(のづら)と言うが、それを加工せず石垣に使う野面積(づみ)に牛蒡積が含まれる。野面のなかでも奥行のある胴長の石を選び、内側に長く押し込む形で積み上げていく。それぞれの石の内側に隠れている部分は、石垣の表面に出ている面の3倍程度の長さがあるのが基本。そのなかには、石垣の柱のような役割を持つ力石が適度にはめ込まれる。外からは小さな石が使われているように見えるが、内側ではしっかりと組み合わされて強固な造りになっている。牛蒡積の石垣としては、福島県の会津若松城、長野県の小諸城、滋賀県の彦根城、島根県の松江城などがある。

投稿ユーザ様募集
掲載施設様様募集

投稿ユーザーの方へ

パスワードを忘れた方

投稿ユーザーに登録する

投稿ユーザーに登録される方は、
「投稿ユーザーに登録する」ボタンを
押して下さい。

施設検索/ホームメイト・リサーチ公式キャラクター 歌舞伎パンダ「検太郎」
施設検索/ホームメイト・リサーチLINE公式アカウントをご紹介!
ホームメイト・リサーチ公式アプリ ピカ写メのご紹介!
「ピカ写メ」アプリの機能をご紹介。ダウンロードはこちらから!
施設のお役立ち情報「生活施設辞典」
生活施設に関する、知っておくと便利な情報・役に立つ情報が満載!

施設検索ホームメイトリサーチは、
モバイルでもお楽しみ頂けます。

スマートフォンからも、サイトをご覧頂くことができます。
携帯からも、サイトをご覧頂くことができます。
デバイスイメージ

その他、タブレットでもご覧頂けます。
施設検索ホームメイト・リサーチご紹介ページ

いつでもどこでも「施設検索/ホームメイト・リサーチ」サイトへ一発アクセス!
タブレットやスマートフォンから弊社サイトへすぐにアクセスできる便利なボタンを設定できます。