ご希望の日本の城情報を無料で検索できます。

施設検索/ホームメイト・リサーチTOP

城ワールド
日本の城
トップページへ戻る
トップページへ戻る

城情報

女城主の物語



群雄割拠の戦国時代では、相手の領地を奪い自分の領土を拡大させることが各大名の目的でした。その際、軍事と政治の拠点となっていた城を奪うことが最も手っ取り早い方法です。歴史の中には、その城を守るために女城主が誕生したケースがあります。世界史においても珍しい女城主について、代表的な例をここでは詳しく見ていきます。

おつやの方

おつやの方

おつやの方は織田信定(のぶさだ)の娘で、織田信長の叔母にあたる女性です。彼女は岩村城城主であった遠山景任(かげとう)へ信長の政略のために嫁いでいます。当時、この遠山氏の領地は武田信玄に侵攻されており、景任は信長の助力を得てこれを退けることとなりました。

しかし、景任は1571(元亀2)年に病没します。嫡男であった御坊丸(ごぼうまる)はまだ幼かったために、ここにおつやの方が新たな城主となりました。そしてその翌年、信玄は西上作戦を開始します。武田軍の将である秋山虎繁(あきやまとらしげ)の軍勢は美濃に侵攻し、岩村城を取り囲みました。城兵は堅い守りで岩村城を守りますが、結局は武田軍に降伏し城を明け渡します。その際、虎繁からはおつやの方との結婚を条件とした和議が申し出されていたと言います。そして、これ以上城が持ちこたえられないと判断したおつやの方はこの申し出に承諾しました。その際、息子である御坊丸は人質として信玄のいる甲府に送られています。これに激怒したのがおつやの方の甥である信長でした。しかし、武田方についたとあってはどうすることもできず、その機会を得たのは1575(天正3)年の長篠の戦いに勝利したことに因ります。

虎繁は織田軍に囲まれると、和議と偽った織田軍により捕えられます。そして信長のもとへと連行された虎繁に加え、おつやの方も連行されることとなりました。虎繁は長良川の河原で逆さ磔の刑に処され、おつやの方は信長自身の手によって切り殺されたと言われています。

立花誾千代

1575(天正3)年、戦国時代の武将である立花道雪(たちばなどうせつ)から7歳にして城を譲り受けたのが立花誾千代(ぎんちよ)です。名前の「誾」の字には、和らぎのある女性らしさをもった女性であってほしいという願いが込められています。誾千代は1581(天正9)年には高橋宗茂(むねしげ)を婿に迎えます。立花城に島津軍が攻め入ったときには、誾千代をはじめとし、誾千代によって組織、訓練された奥方連中が戦いに参加したと言われています。