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鬼門にまつわる伝説



日本においては古代からその土地には地主神がいて、その上に何かを建てる際にはその神を鎮める必要があると信じられていました。それにより城を建てる際にも様々な方法で神を鎮める儀式が行なわれています。人柱を立てたり、城郭内に神社を設けたりといった方法は有名ですが、その他にも方位学が重んじられており、それは城だけではなく城下町全体に及ぶ場合もありました。

鬼門とは

鬼門とは

鬼門とは、陰陽道で鬼が出入りするという艮(うしとら)の方向を指します。艮とは東北のことで、この方角に何かを建てたりすることは避けられていました。このような方位学への関心は高く、平安京ではこの方角に延暦寺を建てることで凶を避けました。庶民の間では江戸時代の後期に流行したと言われています。城においては桃山時代に築城された城から、すでにこのような要素が見られます。

鬼門とは違い、乾(いぬい)と巽(たつみ)は吉の方向で、それぞれ西北と東南を指します。ここには天守や城主の住む館を立てるのが慣例でした。一方、艮の方角には何も建てず、城壁も鬼門除けとして切り欠くようにしていました。この方法には二種類あり、この方角にできる角を斜めに欠き取ってしまう方法と、入隅とよばれる隅を内側に直角に入り込ませる方法があります。この方角に門を設ける場合は、通常は不開門(あかずのもん)とされました。またこの位置に鎮守を祀るといった方法もあり、日本で築城された多くの城で吉凶の方角は意識されていたことが分かります。

代表的な鬼門除け

各城の鬼門除けを紹介します。

江戸城

比叡山で天台密教を修めた天海和尚は、江戸城においても鬼門の発想を導入しました。江戸城の鬼門の方角には上野の寛永寺が建っています。この寛永寺の寺号を「東叡山」とよぶのも、この寺の住職を天海が務めたことと関係しており、東の比叡山という意味をもちます。

大坂城

1583(天正11)年に豊臣秀吉が大坂城を築城した際、秀吉は片埜神社(かたのじんじゃ)をこの城の鬼門除けに定め、それに合わせて修築しました。また、1602(慶長7)年に秀頼により本社も造営されています。

名古屋城

徳川家康により1610(慶長15)年に築城が開始された名古屋城には、鬼門の方角に荒子観音(あらこかんのん)、甚目寺観音(じもくじかんのん)、龍泉寺観音(りゅうせんじかんのん)、笠寺観音(かさでらかんのん)の「尾張四観音(おわりしかんのん)」と総称される観音寺があります。家康はこの4つの寺を鬼門除けの鎮護として定めました。