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徳川家康と城



徳川家康(とくがわいえやす)は1542(天文11)年12月26日~1616(元和2)年4月17日に生きた戦国武将です。彼の生涯とゆかりのある城について紹介します。

徳川家康の生涯

徳川家康の生涯

徳川家康は、松平広忠(ひろただ)の嫡男として生まれます。幼名は竹千代でした。当時の松平氏は近隣の織田氏により圧迫されており、これを今川氏に庇護(ひご)してもらうため、幼い竹千代を人質として今川氏に差し出します。竹千代は元服すると松平元康(もとやす)と名乗り、1560(永禄3)年には桶狭間の戦いにおいて織田氏攻めに参加します。しかしこれに敗戦した今川氏から独立し、岡崎城に入城して徳川家康を名乗ることになりました。

城主となった家康は織田信長と同盟を結びます。かつて庇護を求めた今川氏の領地を奪いつつ、武田信玄と争うことになった家康は、そのための備えとして浜松城へと本拠を移します。1575(天正3)年の長篠の戦いで武田軍に勝利すると、信長の死後は豊臣秀吉との緊張関係が続くことになります。

この頃、浜松城から駿府城へと居城を移します。政治の実権を握っていた秀吉から関東へ移ることを命じられると、江戸城を改修しそこを居城とします。そして秀吉が亡くなると、関ヶ原の戦いに勝利し征夷大将軍となります。江戸幕府を開いた家康は、豊臣氏を滅ぼすと、その翌年75歳で死去しました。

徳川家康と城

家康はその生涯において多くの城に居城しましたが、その変遷は天下を統一し、最高権力者となるまでの変遷でもありました。

岡崎城

家康が生誕した場所でもある岡崎城は、1452(享徳元)年に築城され、家康の祖父の代から松平氏の居城となりました。今川氏から家康が独立した際に家臣団と入城したこの城は、のちには徳川氏やその家臣にとって心の支えとなった地でもあります。

浜松城

武田信玄との領地争いの拠点となったのが浜松城です。もとは曳馬(ひくま)城とよばれていたこの城を、家康は改修してこの名に改めました。

駿府城

駿府城は、1585(天正13)年に築かれた城です。この城はかつて今川館として、家康が幼少時代を過ごした場所でもありました。ここに居城を築くことで、豊臣政権から距離を置くと言う意味もありました。また、将軍職を息子の秀忠に譲ってからは、江戸城から再びこの城に戻っています。

江戸城

秀吉の命により関東を治めるため、太田道灌が築城した江戸城を改修したものです。当初は小規模なものでしたが次第に増築されていき、最終的には国内最大規模の面積をもつ城となりました。徳川氏が天下をとったことを世に知らしめるとともに、江戸幕府の拠点となったのがこの城です。