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島津一族と城



鎌倉時代の武将であった惟宗忠久(これむねただひさ)が、南九州の島津荘に入ったことにより生まれたのが島津氏です。そこから江戸時代の終わりまで、およそ700年武家として島津氏は存続しました。忠久は島津の姓を名乗り、島津氏は守護大名、戦国大名として勢力を増していき江戸時代に入ると薩摩藩主として繁栄を続けます。幕末における明治維新においても重要な役割を果たすことになるのが薩摩藩であり、彼らの精神的支柱であったのが島津家でした。

島津一族と城

島津一族と城

島津氏が江戸時代を通じて居城としていたのが鹿児島城です。勢いがもっとも盛んであった時期には九州のほぼすべてを支配していた島津氏ですが、なかでも縁の深いのが鹿児島城で、様々な出来事はこの城を中心にして起こりました。ここでは時代の変遷とともに、島津一族と鹿児島城をめぐるエピソードを見ていきます。

島津貞久

近世に至るまで、島津氏が居城としていたのは、清水城(しみずじょう)や、東福寺城(とうふくじじょう)でした。これらの城はいずれも1341(暦応4)年に島津貞久(しまづさだひさ)が攻め落とした物です。島津氏の5代当主である貞久は、九州地方における勢力の基盤をつくった人物です。

島津家久

関ヶ原の戦いでは西軍として戦った島津氏ですが、徳川政権下においても所有地を譲ることはなく、島津忠恒が初代薩摩藩藩主となりました。島津氏が所有していた清水城、東福寺城などは、いうなれば中世の城でした。家久は時代にふさわしい新しい城を築城しようと考えます。しかし父である島津義弘はそれを良しとせず、それまでの居城であった清水城にこだわりました。

結局、家久は父の反対を押し切り1602(慶長7)年に鹿児島城を築城します。薩摩藩には「城をもって城とせず、人をもって城とする」という言葉がありますが、それを象徴するように、藩主の居城の周囲には家臣の家が配置されています。全体としては質素な縄張りとなっているのは、外様大名である島津氏の、徳川氏への恭順の姿勢が伺えます。

島津斉彬

江戸時代後期の藩主である島津斉彬(なりあきら)は、西郷隆盛や大久保利通など幕末を彩る人物を育てた名君としても知られています。海外事情に通じた大名でもあり、斉彬が撮影したとされる熊本城の写真が残されている程です。