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豊臣秀吉と城



豊臣秀吉(とよとみひでよし)は1537(天文6)年2月6日~1598(慶長3)年8月18日に生きた戦国武将です。彼の生涯とゆかりのある城について紹介します。

豊臣秀吉の生涯

豊臣秀吉の生涯

豊臣秀吉の父親は農民とも足軽とも言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。しかしいずれにせよ、秀吉は下層階級から天下人へと上り詰めた、戦国時代一の出世頭でした。秀吉は松下家に仕えたのち、18歳のときに尾張国領主である織田信長に仕えます。当初は小者と言う身分でしたが、次第に頭角をあらわし重要な任務を与えられることになっていきます。信長の草履を冷やさぬよう懐に入れて温めていたエピソードは有名です。

1573(天正元)年に長浜城を築城し、ここで初めてとなる居城を構えると、その6年後には姫路城へと移り住み、ここを「四国攻め」の拠点地とします。しかしこの最中の1582(天正10)年、信長が本能寺の変により倒れ、秀吉は姫路城に戻ると主君の敵となった明智光秀を討ち、これが秀吉の天下取りの分岐点となります。織田家家臣の中でも発言権を増した秀吉は、信長の領地分配や跡取りをめぐって行なわれた清洲城会議において柴田勝家と対立します。

しかし、この対立も賤ヶ岳(しずがだけ)の戦いに勝利したことで解決し、信長の領地を引き継ぎ、朝廷から関白太政大臣の位を賜ると、ここに天下人・豊臣秀吉が誕生します。その後は太政大臣にも就任し、九州、小田原、奥州を平定し全国統一を果たしますが、1598(慶長3)年、居城としていた伏見城で死去します。享年62歳でした。

豊臣秀吉と城

秀吉はその生涯を通じ、多くの城を居城としましたが、残されたエピソードは居城した城だけにとどまりません。ここでは特に特徴的な城について見ていきます。

墨俣城

秀吉が信長の信頼を勝ち得たエピソードとして有名なのが墨俣(すのまた)城です。信長による美濃攻めの際に、戦の前線基地である城として、墨俣城は一晩で建てられたことから「墨俣一夜城」とも呼ばれています。居城した城ではありませんが、出世頭である秀吉を象徴する城です。

姫路城

信長の中国地方制圧において、秀吉が進軍することとなるとその拠点となったのが姫路城です。進軍の最中に信長が倒れると、岡山から姫路までの距離をわずか4日で戻ったと伝えられており、これは「中国大返し」と言われます。

大坂城

「太閤さんのお城」として親しまれる大坂城は、秀吉を代表する城です。1583(天正11)年に築城を開始したこの城は、信長の後継者としての威厳を示す巨大な城郭を有しています。外観も内観も絢爛豪華なもので、桃山文化と秀吉の趣味が結合した城でした。