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織田信長と城



織田信長(おだのぶなが)は1534(天文3)年5月12日~1582(天正10)年6月2日に生きた戦国武将です。彼の生涯とゆかりのある城について紹介します。

織田信長の生涯

織田信長の生涯

織田信長は尾張国の大名である織田信秀(のぶひで)の嫡男として生まれます。幼くして那古野城(なごやじょう)の城主となり、信長は青年時代までをこの城で過ごしました。信長と名乗るのは13歳で元服をしたときで、その翌年三河の吉良大浜において初陣を飾ります。

1551(天文20)年に父が没したため家督を相続すると、信長はその相続に批判的な他の一族を滅ぼし、清洲城に移り住みます。これは実質的に信長が尾張一国を治めたということの証明でもありました。

その後も1560(永禄3)年に桶狭間の戦いにおいて今川義元(よしもと)を、1570(元亀元)年に姉川の戦いにおいて浅井・朝倉氏を破ると畿内の支配を確立し、1573(天正元)年には室町幕府を解体し元号を天正と改めることで、信長は実質「天下人」となりました。1575(天正3)年に長篠の戦において武田氏に勝利を収めた信長は、さらなる領地拡大をめざし、その基盤となる居城として1576(天正4)年に安土城を築き上げます。しかし1582(天正10)年、家臣であった明智光秀により本能寺で打ち取られこの世を去ります。享年49歳のことでした。

織田信長と城

信長はその生涯を通じ6つの城に居城したと言われています。そのなかでも特にエピソードの多い那古野城、清洲城、岐阜城、安土城について見ていきます。

那古野城

1538(天文7)年に築城された那古野城は、信長の父・信秀が獲得した城であり、信長の生誕の地とも言われています。幼くしてこの城を父から譲り受けた信長は、20歳を過ぎるまでこの城で過ごしました。この時期は、信長が「大うつけ」と仇名されていた時期でもあります。

清洲城

代々尾張の守護代を務めた織田家の居城・清洲城に、家督を継いだ信長は移り住みます。これにより信長は父・信秀が果たせなかった尾張の統一を果たします。

岐阜城

尾張国を治めた信長は隣国の美濃への侵攻を開始し、それに成功すると1567(永禄10)年に、稲葉山(いなばやま)城を岐阜城と改め、ここに移り住みます。この岐阜城を拠点として信長は天下人への足掛かりをつかんでいくこととなりました。

安土城

信長の最後の居城である安土城は、完成から3年で焼失しており、その全容も明らかにされていません。しかしこの城こそが天下人となった信長を象徴する城であり、日本の城郭史上ここに初めて天主が登場します。信長はこの天主に住み、そこから絶対的な権力をふるいました。