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前田利家と城



前田利家は1538(天文7)年12月25日~1599(慶長4)年閏3月3日に生きた戦国武将です。彼の生涯とゆかりのある城について紹介します。

前田利家の生涯

前田利家の生涯

前田利家は、尾張国荒子村で荒子城主前田利春(としはる)の四男として生まれました。利家の誕生には天文5年説もあります。のちの伴侶となる「まつ」は、1547(天文16)年7月9日に生まれています。利家は1551(天文20)年から信長に小姓として仕えます。初陣を飾ったのは、信長と清洲城主である織田信友(のぶとも)との間に起こった、萱津(かやづ)の戦いでした。

元服して利家と名乗ると、1558(永禄元)年に、まつを妻に迎えます。利家21歳、まつ12歳のときでした。若い頃より血気盛んで短気であった利家は、結婚の翌年に信長の同朋である拾阿弥(じゅうあみ)を斬り、出仕停止となります。この停止が解けるのはその翌々年、美濃森部の戦いで戦功を上げたことによります。

1569(永禄12)年には、信長の命により兄の利久(としひさ)に代わって前田家を相続することとなります。1581(天正9)年には能登一国23万石を領有する大名となり、七尾城の城主となりました。しかし信長が本能寺の変で倒れたあと、清洲会議で豊臣秀吉と柴田勝家が対立すると、利家は勝家に与することとなります。

この戦いの過程で秀吉からの和睦を受けた利家は、北庄城攻めに先鋒として参加し、これを機にそれまでの小丸山城から尾山城(のちの金沢城)へと本拠地を移します。秀吉が天下を統一すると、利家は五大老に就任をしますが、1598(慶長3)年の8月18日に秀吉が亡くなると、その翌年の閏3月3日に利家も病死します。享年62歳でした。また、まつは利家の死後に剃髪し芳春院として出家します。一時は人質として江戸に住みますが、そのあとに金沢に戻り1617(元和3)年7月16日、金沢城で逝去しました。

前田利家と金沢城

前田利家が藩祖となった加賀藩は、加賀、能登、越中の三国にまたがる土地を領地としており、利家の死後には、一時120万石に及ぶ所領を得ており、「加賀百万石」とも言われる由縁となっています。その加賀百万石のお膝元とよばれたのが金沢ですが、そこに残る名城が金沢城です。金沢城は1580(天正8)年に築城されました。その3年後、秀吉の命により前田利家が金沢へと移ります。利家は金沢城に入城すると、客将として招いていた高山右近(たかやまうこん)の協力を得て、金沢城の大改修に着手します。右近は高槻城などの築城にもかかわった城づくりの名人であり、金沢城の跡にも利家の隠居場であった高岡城の修築にも加わっています。