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伊達政宗と城



伊達政宗(だてまさむね)は1567(永禄10)年8月3日~1636(寛永13)年5月24日に生きた戦国武将です。彼の生涯とゆかりのある城を紹介します。

伊達政宗の生涯

伊達政宗の生涯

伊達政宗は出羽国米沢城で生まれました。幼名は梵天丸と言い、11歳となった1577(天正5)年に元服したときから政宗と名乗ります。政宗は「独眼竜(どくがんりゅう)」という異名も有名ですが、これは5歳のときに疱瘡(ほうそう)にかかり、片目を失明したことが原因です。初陣は1581(天正9)年のとき、隣接する戦国大名である相馬氏との戦でした。1584(天正12)年、父である輝宗(てるむね)が隠居したことで家督を継ぎます。当時の東北地方では婚姻関係を結びながら各領主が勢力を均衡させていましたが、領主となった政宗はこの慣習を破ります。これにより臣下から離反者が出てしまい、その後東北地方では激しい勢力争いが起こることとなりました。

この戦いは1589(天正17)年、摺上原(すりあげはら)の戦いに政宗が勝利したことで終焉を迎え、政宗は東北一の大名となります。しかしこの頃、関東から西を統一していた豊臣秀吉との謁見を経て、政宗は秀吉の臣従となります。結果、領地の多くが没収されました。政宗の領地拡大の夢はここで潰えたとも言えます。そして秀吉が没すると徳川家康へ接近し、関ヶ原の戦いにおいては、東北地方で家康を支える戦いに臨みました。その後は初代の仙台藩藩主となり、仙台城を居城とします。晩年は仙台城の近くに若林城を建てそこで暮らしますが、1636(寛永13)年5月24日に、江戸桜田屋敷において死去します。享年70歳でした。

伊達政宗と城

群雄割拠の時代を生き延びた伊達政宗と、特に縁の深かった城について紹介します。

黒川城

1589(天正17)年、蘆名氏(あしな)との戦いに勝利した政宗は黒川城を奪いここを居城とします。これは政宗が東北の覇王となったことを意味していました。しかし間もなく秀吉に召し上げられ、城の名も鶴ヶ城とあらためられました。

仙台城

豊臣政権においては黒川城、米沢城を奪われ、岩出山城に居城していた政宗ですが、1601(慶長6)年、徳川政権下で仙台藩の初代藩主として築いたのが、この仙台城です。政宗の死後も江戸時代を通じて仙台藩の政庁であり続けました。

若林城

政宗が60歳を過ぎた頃から、仙台城のすぐ近くに建てられたのがこの若林城です。徳川政権下においては一国一城令などの法令により、自由な築城は許されていなかったため、幕府には隠居屋敷として届け出がされましたが、大きな堀があり土塁で守られた「城」でした。政宗の死後には廃止されています。