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上杉謙信と城



上杉謙信(うえすぎけんしん)は、1530(享禄3)年1月21日~1578(天正6)年3月13日に生きた武将です。上杉謙信の生涯と、ゆかりのある城について紹介します。

上杉謙信の生涯

上杉謙信の生涯

越後の虎との異名をもつ上杉謙信は、越後の守護代である長尾為景(ながおためかげ)の子息として春日山城に生まれました。1543(天文12)年に元服をし、長尾景虎と名乗ります。初陣を飾ったのはその翌年のことで、10代半ばから栃尾城の戦いや黒滝城の戦いで戦功を上げます。

これらの功績が注目を集め、19歳のときに守護代である長尾家を相続します。またその直後には越後の守護代となります。その後、信濃では武田氏との10年に及ぶ川中島の戦いを、南関東では北条氏との小田原城攻めといった戦いを経て、生涯を通じ70回にも及ぶとされる合戦を戦い抜きました。

1576(天正4)年には織田信長とも対決し、柴田勝家率いる織田軍を手取川の戦いで破ります。しかし1578(天正6)年に脳溢血で倒れると、49歳でその生涯を閉じることとなりました。

上杉謙信と城

謙信の生涯は戦いの歴史でもありました。その中で謙信と特に縁の深かった城を紹介していきます。

春日山城

南北朝時代に築城された春日山城(かすがやまじょう)は、謙信が生まれた場所です。長尾氏の居城であるこの城は、長尾為景(ためかげ)と上杉謙信(当時は長尾景虎)によって修築され、防備に長けた城となりました。上杉氏は会津へ転封となるまでこの城を居城としました。

栃尾城

1543(天文12)年に元服したのちに居城としたのがこの栃尾城(とちおじょう)です。近隣の武将たちは、この若い城主をあなどり攻撃をしかけ奪い取ろうとしますが、他の武将の協力なども得ながら、自らも少数の兵でこれらを撃退しました。「栃尾城の戦い」とも呼ばれるこの戦いは、このあといく度となく経験することとなる謙信の初陣となりました。

御館

1552(天文21)年、関東管領である上杉憲政(うえすぎのりまさ)が北条氏康(ほうじょううじやす)に敗れたため、謙信を頼り越後へと逃げてきます。憲政を迎えるために、謙信はこの御館(おたて)を築造しました。謙信ものちに関東管領となりますが、その際には自らもこの館を用いています。春日山城が戦時に用いる拠点であるとすれば、この館は政庁としての機能をもっています。この館は謙信の死後、1578(天正6)年に起こった御館の乱により落城します。この騒動の原因は、謙信が生涯妻を取らず、実子もいなかったことから、残された複数の養子がその家督をめぐり争ったことが始まりでした。この争いは景勝(かげかつ)が勝利しますがそのダメージは大きく、上杉家の勢力を大きく減じることとなりました。