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小笠原一族と城



清和源氏の一族である小笠原氏は、1180(治承4)年から1185(元暦2)年にかけて戦われた治承・寿永の乱から、1868(慶応4/明治元)年より始まる戊辰戦争まで、およそ700年にわたって武家として存続しました。鎌倉幕府では御家人として、室町幕府では守護大名として、徳川幕府では親藩大名としてその家名を轟かせ、馬や弓などの兵術、華道などの武家礼法まで様々な分野で基礎を築いています。鎌倉時代から信濃(現在の長野県)に本拠を移したことで、室町時代には信濃の守護大名となります。また、嫡流は信濃と京都へ、庶流は信濃だけではなく阿波、備前、備中、石見、三河などへと広がっていきます。その中で各地の城の城主となっていったのが小笠原一族です。

小笠原一族と城

小笠原一族とかかわりの深かった城について紹介します。

林城

林城

松本市にその跡を残すのが林城です。この城は中世に築かれた物ですが、南北に大城(おおじろ)と小城(こじょう)が相対して建てられています。この城は筑摩・安曇・伊那に勢力をふるっていた、信濃の守護大名・小笠原氏の本城として建てられました。

1550(天文19)年には城主である小笠原長時(ながとき)が、武田晴信(のちの信玄)に敗れ山城や館は打ち壊されることとなりました。また、近くには埴原(はいばら)城も建てられており、ともに小笠原氏の本拠となっていましたが、この城もまた打ち壊されてしまいます。

松本城

小笠原氏がこの他にも築城したのが深志(ふかし)城です。松本城の前身でもあるこの城には、信濃の守護大名であった小笠原氏が在城していました。しかし、林城同様、深志城は武田晴信に落とされることとなります。その後、武田氏が滅亡すると深志城とその城下町は木曽義昌(よしまさ)の領地となりますが、1582(天正10)年には小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城と名をあらためられます。

鈴岡城・松尾城

信濃の小笠原氏は、深志城の他にも鈴岡城と松尾城を居城とする小笠原氏に三分されていました。深志の小笠原は府中小笠原氏と呼ばれます。三派は互いに争いますが、府中小笠原氏が松尾小笠原氏を破ることで近辺の一族を統一します。

小倉城

福岡県北九州市にその跡を残すのが小倉城です。この城は中世に建てられましたが、1632(寛永9)年より小笠原忠実(ただざね)が小倉藩15万石の藩主としてこの城を引き継ぎます。明治に至るまで小倉城は小笠原氏の居城となりました。

唐津城

1608(慶長13)年に築城された唐津城は、1817(文化14)年に小笠原長昌(ながまさ)が城主となりました。