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今帰仁城の特徴



沖縄本島北部にある国頭郡今帰仁村にその跡を残す今帰仁城(なきじんぐすく)は、中世に建てられた城で、国の史跡にも指定されている名城です。北山城(きたやまぐすく)との異名をもつこの城は、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、首里城跡座喜味城(ざきみぐすく)跡などとともにユネスコの認定する世界文化遺産に登録されています。

ここでは今帰仁城の歴史を振り返るとともに、その魅力について詳しく説明します。

今帰仁城の歴史

今帰仁城の歴史

今帰仁城はその歴史、成り立ちに謎が多い城です。今帰仁城の築城年数について詳しいことは分かっていませんが、12、13世紀ごろに今帰仁村今泊(いまどまり)の丘陵上に建てられた城であると考えられています。築城者についても詳しいことは分かっていませんが、北山(今帰仁)、中山(首里)、南山(糸満)と三山に分立していた時代、1322(元亨2)年には、北山王系の怕尼芝(はにじ)の居城であったことが分かっています。

その後、今帰仁城は珉(みん)、攀安知(はんあんち)と、三代にわたる王の居城となり、そのあいだ何度か改修されます。攀安知は1416(応永23)年、のちに琉球統一を果たすことになる中山王系の尚巴志(しょうはし)に滅ぼされました。北山が敗北したあとは中山が北部地域を管理することとなり、その統治に利用されることとなりました。しかし、1609(慶長14)年に薩摩藩の琉球攻めによって今帰仁城は焼き落とされ、廃城します。

近代に入ると、1972(昭和47)年に国の指定する史跡となります。また2000年には世界文化遺産に登録され、2006年には日本城郭協会の選定する日本100名城に選ばれました。

今帰仁城の特徴

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして世界文化遺産にも登録されている今帰仁城は、中国や東南アジアなどの陶磁器が出土される歴史的に貴重な城郭です。また、現在残る遺構としては総延長が1.5kmあるとされる城壁があり、沖縄が日本に返還される前の琉球政府により修復されています。

両脇に門番が外を見張るためにつくられた狭間が設けられた平郎門(へいろうもん)は、1962(昭和37)年に修復されました。「水のある谷」を意味するカーザフは自然がつくりだした天然の堀で、周囲の環境を利用した山城としての今帰仁城の特徴が見られます。また、城内では海神祭(うんじゃみ)の祭祀が行なわれていましたが、現在は従来の祭祀のスタイルは失われつつあり、次世代への伝承が進められています。