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名護屋城の特徴



佐賀県唐津市にその跡を残す名護屋城は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して建てられた城です。現在はその城跡と、その城を取り囲む諸大名の陣跡が国の特別史跡に指定されており、遺跡の保存事業の中心地でもある名護屋城博物館をふくめ、歴史ファンのみならず多くの人たちが足を運ぶ観光地となっています。ここでは名護屋城の歴史を振り返るとともに、この城のもつ魅力について詳しく説明します。

名護屋城の歴史

名護屋城の歴史

豊臣秀吉が朝鮮半島にまで遠征し、1592(文禄元)年から1598(慶長3)年に明と李氏朝鮮の連合軍と交わした戦が文禄・慶長の役です。名護屋城は、この朝鮮出兵に際して秀吉の命により築かれました。城の建造は1591(天正19)年に開始され、多くの大名が割普請(わりぶしん)により築城に加わり、わずか数ヵ月で完成しました。

文禄の役では16万人、慶長の役では14万人もが出兵したと言われる朝鮮出兵ですが、その拠点であった名護屋城の周囲には諸大名により130以上の陣屋が築かれ、20万人を超える人々がそこに集まったと言われています。しかし、二度の出兵はいずれも失敗に終わり、日本における秀吉の死も重なり諸大名は撤退を余儀なくされます。これにより名護屋城はその役目を終え、江戸時代になると陣屋とともに城は解体されますが、初代唐津藩主である寺沢広高(てらざわひろたか)が唐津城を築城した際には、名護屋城の廃材が利用されたと言われています。

名護屋城跡と陣跡は、1955(昭和30)年には国の特別史跡に指定され、日本最大級の城跡としても貴重な文化財となっています。1993(平成5)年には城跡の隣に佐賀県立名護屋城博物館が開館し、ここでも多くの歴史史料が見られることになりました。

名護屋城の特徴

波戸岬(はどみさき)の丘陵に建てられた名護屋城は、梯郭式の城郭構造をもつ平山城でした。17haに及ぶ面積をもつ巨大な城で、その大きさは大阪城に次ぐ規模であったとされています。

また、城の周りに築かれた諸大名の陣屋跡は現在130以上が確認されており、そのうちの23ヵ所が国の特別史跡に指定されています。かつては五層七階の天守が建っていたとされる天守台、本丸御殿跡とその石垣、大手門跡などの史跡を今も見ることができます。

天守台跡から発掘調査により出土した瓦には金箔が施されており、名護屋城の豪華さも伺うことができます。これらの遺物は城跡に隣接された名護屋城博物館に展示されており、在りし日の姿を窺うことができるようになっています。