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大野城の特徴



福岡県大野城市にその跡を残す大野城は、国の特別史跡にも指定されている歴史ある城跡です。飛鳥時代に築城された、日本最古の山城とも言われるこの城は、日本城郭協会が選定する「日本100名城」にも数えられています。大野城の歴史を探索するイベントが毎年行なわれるなど、市民からも親しまれているのが大野城跡です。ここでは大野城の歴史を紐解くとともに、この城のもつ特徴について触れていきます。

大野城の歴史

大野城の歴史

大野城は飛鳥時代に築城された朝鮮式山城です。663(天智天皇2)年に日本と百済(くだら)の連合軍が、唐と新羅(しらぎ)に敗れると、百済の難民の多くが日本へ亡命してきました。朝鮮式山城とは、このときに百済人によってもたらされた新しい城郭形式です。当時の大宰府は、唐や新羅が来襲してくる恐れがあったため大和朝廷により防衛線が引かれることになり、そのため多くの朝鮮式山城が築城され、大野城もそのなかの一城でした。

大野城が築城されたのは665(天智天皇4)年のことです。大野城は四天王山の山頂に建てられ、平野部には土塁と水堀によりつくられた大城壁、水城(みずき)が築かれました。また、大野城は博多湾側から来る侵攻に備えた物ですが、有明海からの侵攻に備えた物としては、現在の佐賀県に基肄城(きいじょう)が建てられています。結局、唐・新羅の連合軍が攻めてくることはありませんでした。1952(昭和27)年になると、飛鳥時代に築かれた山城の貴重な史跡として国の特別史跡に指定されることとなりました。

大野城の特徴

大野城は朝鮮式山城に分類されます。山城は中世、近世にかけても築城されますが、これらの山城は山を段状にしてそれぞれに曲輪を配置している物でした。一方、朝鮮式山城は谷を含んだ一続きの城壁で山が取り囲まれると言うつくりになっています。城壁は土塁や石垣で形成され、その跡や門柱の礎石(そせき)などが今も残されています。このように守りやすく攻めにくい城をつくりだしていた大野城の城壁の総計は、8キロメートルにも及ぶ物でした。

また、北方に1ヵ所、西南に1ヵ所、南部に2ヵ所の城門があったことが分かっています。現在は城壁の一部である百間石垣、かつて10棟の建築物が建てられているという尾花礎石群などの跡が整備され復元されています。また、天然の要塞として築城された大野城ですが、現在は登山コースとなっており、四季の風景を楽しみながら「日本100名城」にも選ばれた歴史の跡を楽しむことができます。