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高松城の特徴



香川県高松市にその跡を残す高松城は、海の上に浮かぶ様子が見る人を惹き付ける非常に珍しい城です。この辺りの海が「玉藻の浦」とよばれることから「玉藻城」と言う異名をもつこの城は、国に指定された史跡であり名勝でもあります。高松市のシンボルとしても親しまれており、多くの観光客が足を運んでいる高松城の歴史を紐解くとともに、この城のもつ歴史について詳しく触れていきます。

高松城の歴史

高松城の歴史

豊臣秀吉が四国を平定すると、家臣である生駒親正(いこまちかまさ)に讃岐国が与えられます。秀吉の意向を受けて、親正は1588(天正16)年から高松城の築城を開始します。黒田孝高(くろだよしたか)や細川忠興(ほそかわただおき)といった名高い戦国武将が築城にも加わったとされ、完成した際に「野原」と言うこの地名が「高松」に改められました。

生駒氏は高松城を四代にわたり居城としますが、生駒騒動とよばれる家臣たちのお家騒動により生駒氏が改易となると、1642(寛永19)年には徳川光圀の兄である松平頼重(よりしげ)が新しい城主となります。頼重は城内の改修を行ないましたが、この整備は何年にもわたり1669(寛文9)年には三重五階の天守が完成します。松平氏は十一代この高松城を居城としますが、1868(慶応4)年に官軍に開城されることになります。明治に入ると高松城は廃城が決められ、1884(明治17)年には天守が老朽化のために取り壊されます。その後も、第二次世界大戦時の空襲により三の丸の桜御門が焼失しますが、多くの建造物が国の重要文化財に指定され、また1955(昭和30)年には国の史跡に指定されました。

高松城の特徴

本丸の周りを二の丸、三の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置された輪郭式平城の城郭である高松城の最大の特徴は、北側に広がる瀬戸内海を利用した城であることです。瀬戸内海に浮かぶ島の上に建てられていることから、「讃州讃岐の高松様の城が見えます波の上」と明治期の民謡にも謡われている姿は、水城として分類されることもあります。

城の周囲には瀬戸内海の海水を取り込んだ堀が三重にめぐらされており、また海に面した部分には防波堤や船溜りなどが設けられているのも特徴的です。明治期に入り取り壊された天守は三重四階、地下一階の物でした。取り壊しの際、月見櫓や艮(うしとら)櫓などは良い状態で残されており、現在の玉藻公園にそれらの遺跡を見ることができます。現在も多くの市民から天守の復元が待ち望まれています。