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熊本城の特徴



熊本市内の中心部にそびえ立ち、市民のシンボルとして親しまれているのが熊本城です。日本三大名城にも名を連ねるこの城は、加藤清正や宮本武蔵、西郷隆盛といった近世を彩る人物たちが関係する城でもあります。櫓や塀などの建造物が国の重要文化財にも指定されており、歴史ファンのみならず多くの観光客で賑わいを見せています。ここでは熊本城の歴史を振り返りながら、その魅力について触れていきます。

熊本城の歴史

熊本城の歴史

熊本城の前身は、茶臼山に鹿子木(かのこぎ)氏が築城した隈本城だとされています。現在の姿になったのは1601(慶長6)年からで、戦国武将であった加藤清正(かとうきよまさ)が隈本城に入城したことによって築城が開始されました。城は1606(慶長11)年に完成し、翌年にはこれを機に隈本は「熊本」と言う表記に改められることになります。

1632(寛永9)年には加藤氏に代わり小倉から細川忠利(ほそかわただとし)が入城し、以後、明治まで熊本城は細川氏の居城となります。忠利は、宮本武蔵を城に招いたことでも有名です。武蔵は熊本城の客分となり、ここで『兵法三十五ヵ条』や『五輪書』といった書物を著しました。

1877(明治10)年に、西郷隆盛が明治政府に対して蜂起した西南戦争では、熊本城が舞台となります。政府軍により守られた熊本城に攻め入った西郷軍ですが、この城の堅い守りの前に城を落とすどころか近づくことさえできず、270年以上も前に加藤清正によって建てられたこの城が、近代的な戦争にも耐えうることを証明しました。しかし落城こそしなかったものの、この戦いにより熊本城では天守や本丸御殿などを焼失しました。熊本城跡は、1955(昭和30)年に国の特別史跡に指定されます。その後、失われた天守などが再建されることになりました。

熊本城の特徴

熊本城は、茶臼山全体が利用された梯郭式山城です。1960(昭和35)年に再建された天守は、大天守と小天守の連結式です。熊本城で名高いのが石垣で、三重六階地下一階の大天守、二重四階地下一階の小天守を支える天守台や、第三の天守ともよばれる宇土櫓を支える石垣には、扇の勾配と言われる技術が施されており、見る者を圧倒します。これには茶臼山が阿蘇山の火山灰によりできた脆弱な地盤であると言うことが理由に挙げられます。また、桜の名所としても知られ、坪井川沿いに建てられた長塀は国の重要文化財にも指定されています。現在は本丸跡一帯が公園となっており、多くの史跡を公園内に見ることができます。