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和歌山城の特徴



和歌山市に残る和歌山城は、史跡として、また名勝として国に指定されており、季節を問わず多くの人が足を運ぶ近世に築かれた名城です。現在は城郭の跡に県庁和歌山市役所といった公的機関が建てられている他、和歌山城公園、和歌山動物園として開放されています。また、そこに残された遺構は多くが重要文化財に指定され、訪れる人を楽しませています。そんな和歌山城の歴史を探るとともに、この城のもつ魅力について触れていきます。

和歌山城の歴史

和歌山城の歴史

和歌山城は、紀州を統一した豊臣秀吉によって、1585(天正13)年に築城されました。当時は「若山」とよばれていましたが、1年で完成したと伝わるこの城は簡素な物であったと言われています。完成と同時にこの地は「和歌山」とあらためられるようになりました。

1601(慶長6)年には浅野幸長(あさのよしなが)が入城し、このときに改築が施されています。その後、和歌山城が大改築をされることになるのは、1619(元和5)年、徳川家康の十男である頼宣(よりのぶ)が城主となったときのことです。これと同時に徳川御三家である紀州徳川家が成立し、また城下町の拡張も始められました。紀州徳川家は、その後およそ250年にわたりこの和歌山城を居城とします。

1846(弘化3)年には天守に雷が落ち、火災により大天守、小天守などが焼失します。1850(嘉永3)年には天守が再建されることになりますが、このように天守の再建が許されるのは当時の幕府においては特例であったと言えます。明治に入ると和歌山城は廃城となりますが、1901(明治34)年に和歌山公園として一般に開放されます。そして1931(昭和6)年には国の史跡に、1935(昭和10)年には天守や櫓などの建造物が国宝に指定されることになりますが、それら建造物は第二次世界大戦時に空襲により焼失してしまいました。

しかし1958(昭和33)年になると鉄筋コンクリートの天守群が再び設けられることとなりました。

和歌山城の特徴

和歌山城は虎伏山(とらふすやま)の地形が巧みに利用された平山城です。山の頂に天守曲輪と本丸、麓には二の丸、西の丸、砂の丸、南の丸が配置された壮大な城郭を形成しており、その先には城下町が広がっていました。現在は鉄筋コンクリートで再建されている三重三階の天守は、小天守と櫓、二の門が多聞櫓で結ばれた連立式の物です。往時のままの状態で残されている石垣からは、用いられた石材によりそれぞれに築かれた年代を知ることができ、長きにわたる和歌山城の歴史を辿ることのできる貴重な文化史跡となっています。