施設検索/ホームメイト・リサーチ

ご希望の日本の城情報を無料で検索できます。

ホームメイト日本の城リサーチ

城情報

二条城の特徴



京都市中京区に残る現在の二条城は、江戸時代に京都のみならず全国の大名に徳川家の威光を示すことを目的として築かれました。金閣寺銀閣寺平等院延暦寺清水寺などとともに「古都京都の文化財」としてユネスコの世界遺産にも登録された二条城は、そのなかでは唯一の城であり、日本のみならず世界各国から観光客が足を運ぶ日本を代表する建築物です。ここでは二条城の歴史を紐解くとともに、その魅力について触れていきます。

二条城の歴史

二条城の歴史

二条城は関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康の命により、京都に上る際の宿所として1601(慶長6)年に築城が開始されました。西日本の多くの外様大名が普請に参加することで、参加した大名の財力は削られることになります。戦のためではなく、あくまで徳川家の威光を示すことが目的とされた二条城は、築城開始から2年後に完成し家康が入城します。その後も普請は続けられ、二代将軍秀忠の代では、大規模な改修とともに縄張りにも変更が施されました。そして三代将軍家光のときに、今に残る姿となります。

1750(寛延3)年には落雷による火事で天守を焼失し、その後、天守が再建されることはありませんでした。その後も地震の被害などを受けますが、1862(文久2)年には十四代将軍の家茂(いえもち)の上洛に合わせ、二条城は大規模な改修が行なわれることになりました。

1866(慶応2)年には二条城の十五代城主であり最後の将軍、慶喜の就任が執り行なわれますが、その翌年、二の丸御殿大広間において慶喜は大政奉還を発表します。まさに江戸時代の始まりと終焉を見届ける場となったのが、この二条城でした。1952(昭和27)年には二の丸御殿が国宝に指定され、その他多くの史蹟が重要文化財に指定されています。また、1994年にはユネスコの定める世界遺産にも登録されることになりました。

二条城の特徴

二条城にはかつての天守を支えていた石垣、天守台を始めとする多くの建造物が完全なかたちで残されています。国宝に指定されている二の丸御殿は、国内で唯一現存する武家書院造の建築物としても有名です。歩くと鶯の鳴き声のような音の鳴る「鶯張り廊下」も二の丸御殿にある物です。また、現存する唐門、車寄せ、大広間、御清所(おきよどころ)などの建築物に残された壁画や彫刻なども当時の最高技術が施された物です。本丸御殿は江戸時代に焼失し、1893(明治26)年に旧桂宮邸を移築した物ですが、こちらも国の重要文化財に指定されている貴重な建築物です。