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小谷城の特徴



滋賀県長浜市にその跡を残す小谷城は、戦国時代屈指の山城と言われ、新潟県の春日山城、石川県の七尾城、滋賀県の観音寺城、島根県の月山富田城と並び日本五大山城にも数えられています。標高495メートルの小谷山に築かれた小谷城は、現在残されている建築物は少ないものの、そこに残されたエピソードと共に多くの歴史ファンに愛される名城です。小谷城の歴史を辿るとともに、その魅力について詳しく説明します。

小谷城の歴史

小谷城の歴史

小谷城の正確な築年数は分かっていませんが、1523年~24(大永3~4)年にかけて北近江の当主である浅井亮政(あざいすけまさ)により築城されたと考えるのが、もっとも有力な説とされています。亮政の孫である浅井長政(ながまさ)は小谷城の三代目城主にあたり、同時に浅井家最後の城主でもあります。織田信長の妹、お市の方を娶ったことでも有名な長政ですが、この結婚は信長にとって近江を同盟国としてその後、京へと上っていくための足掛かりとしようという思惑があってのことだと考えられています。

しかし越前国の大名、朝倉義景(あさくらよしかげ)が信長と争った際には、長政は信長ではなく朝倉方に付き信長を背後から奇襲したことで、信長と敵対関係になりました。小谷城は堅城として信長勢の侵略を許しませんでしたが、1573(天正元)年、遂に小谷城は包囲され城は落城、城主長政は自刃してしまいます。小谷城の戦いと呼ばれるこの戦で功績を挙げたのが羽柴秀吉でした。秀吉は城主亡きあとの小谷城を与えられますが、領地に新たに長浜城を建てそこを居城としたために、1585(天正13)年に小谷城は廃城となります。近代になると、1937(昭和12)年に城跡は国の史跡に指定されます。また、長政とお市の方の間に生まれた長女・茶々、次女・初、三女・江の「浅井三姉妹」がNHKの大河ドラマに扱われたこともあり、今も注目を浴び続けているのが小谷城です。

小谷城の特徴

小谷城は小谷山の地形を利用した梯郭式の山城です。本丸のある中心部、また尾根伝いに大嶽(おおづく)、福寿丸(ふくじゅまる)、山崎丸、月所丸(げっしょまる)といった多くの曲輪が馬蹄状に配置されています。特に大嶽には、本来の小谷城はここにあったのではないかという説があります。多くの建築物は失われましたが、それぞれの曲輪には石垣や堀切などが残されています。また、その跡が残る空堀群の跡には朝倉氏の居城である一乗谷城との共通性が見られ、両氏が築城に協力し合い、信長との戦に備えていた姿を窺うことができます。