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七尾城の特徴



石川県七尾市の松尾山、通称「城山」を中心とした石動山系山中にその跡を残すのが七尾城です。標高300メートルの尾根に築かれた山城は、新潟県の春日山城、滋賀県の観音寺城小谷城、島根県の月山富田城とならび、日本の五大山城に数えられています。現在、城跡には遊歩道が整備され山歩きを楽しむことができ、多くの観光客が足を運んでいます。七尾城の魅力について詳しく説明します。

七尾城の歴史

七尾城の歴史

七尾城の築城の時期については諸説あり、正確な年次は分かっていません。しかし、室町時代から能登の守護であった畠山氏によって築かれた物であり、1400年代半ばごろ~1500年に築城されたと考えられています。その後、畠山氏の歴代の城主によってたびたび改築され領地を増やしていき、1577(天正5)年に上杉謙信によって落城されるまで、畠山氏の居城となりました。

数代にわたって守りの強固な山城を築き上げた七尾城は、戦上手の謙信をもってしてもなかなか落とすことはできませんでしたが、疫病が流行し、また畠山家のなかに内応した者が現れたためようやく落とすことができました。謙信は七尾城へ入城するときに、これを足がかりに上洛しようと考えますが、翌年に急死してしまいます。その後、1582(天正10)年には織田信長から能登を与えられた前田利家が入城しますが、すぐに山城である七尾城を離れ、平地の小丸山城を築きそこに移動すると、七尾城は廃城となりました。1934(昭和9)年には国の史跡に指定され、その後の発掘調査によって往時の姿が明らかにされつつあります。

七尾城の特徴

七尾城の名前の由来は、城郭が7つの尾根にまたがっているためと言われています。山城としては大規模な物で、上杉謙信は七尾城を称して「難攻不落」と述べたと伝えられています。このような大規模な山城が築かれたのは、およそ百七十年の間に畠山氏が数代をかけて城を大きくしていったからです。現在は松尾山の山頂に建てられた本丸の跡などが残されますが、その本丸から見下ろすようなかたちで家臣の屋敷が配置されていたことが分かっています。

また、残されている石垣の多くは前田利家が城主の時代に築かれた物だと考えられており、かつて軍馬の訓練をしていた桜馬場跡に残る石垣は戦国期の山城に多く見られる野面積みが用いられています。城跡は現在ハイキングコースとなり、山頂に設けられた展望台からは七尾市街とその向こうに広がる七尾湾を見渡すことができます。