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竹田城の特徴



兵庫県朝来市にその遺構を残すのが、天空城ともよばれる竹田城です。ペルーの古代遺跡マチュ・ピチュに比べられることもあるように、高さのある山頂の上に残された石垣の姿は、歴史好きの人たち以外にも観光地として高い人気を誇っています。その幻想的な魅力は、『天と地と』といった歴史映画のみならず多くの作品のロケ地としても活用されています。ここではそんな竹田城の歴史と魅力について詳しく見ていきます。

竹田城の歴史

竹田城の歴史

竹田城の築城年については正確なことが分かっていませんが、記録によると1431(永享3)年に、但馬国の守護である山名持豊(やまなもちとよ)が築城を開始し、2年後の1443(嘉吉3)年に完成されたと伝えられています。このときに城主となったのが太田垣光景(おおたがきみつかげ)で、その後太田垣氏は山名四天王として徐々に勢力を伸ばしていきます。1580(天正8)年に豊臣秀吉の弟である秀長により攻め落とされ、その後秀長の配下である桑山重晴(くわやましげはる)が城主となりました。重晴が紀伊に転封されると、1585(天正13)年に赤松広秀(あかまつひろひで)が新たに城主となりました。現在残されている石垣は広秀が城主の際に改修された物です。関ヶ原の戦いで西軍にまわった広秀は家康により切腹を命じられ、結果、竹田城は廃城となります。

竹田城跡が国の指定遺跡となったのは1943(昭和18)年のことです。その後も歴史映画などのロケ地に度々使用され、天守や追手門などのセットがつくられることで、在りし日の姿がよみがえることになりました。

竹田城の特徴

竹田城は、標高353.7メートルの古城山(こじょうさん)の山頂に建てられた山城でした。本丸は山の最高地点に置かれ、二の丸、三の丸、南二の丸、東丸などが配置された梯郭状の縄張りが、虎が伏せた姿に見えることから、別名を虎臥城(とらふすじょう)とも呼ばれていました。現在残されているのは本丸と天守台の跡の土台であった石垣です。野面(のづら)積みにされた石垣は、南千畳、北千畳などでそれぞれ違う表情を見せています。

そして、この竹田城の人気の要因となっているのが、その建てられた標高の高さから、円山川から発生する霧のなかに浮かんだ城跡の幻想的な風景にあります。向かいの立雲峡(りつうんきょう)からも眺めることができるその様子は人気で、霧が立ち込める時間帯である早朝には、歴史ファンだけではなく多くの人たちを惹き付けています。