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名古屋城の特徴



愛知県名古屋市のシンボルであり、天守の屋根に添えられた金の鯱(しゃちほこ)で有名な名古屋城は、徳川幕府の祖家康が天下統一の総仕上げとして築城した城であり、今も多くの観光客が足を運んでいる名城です。伊勢音頭にも「尾張名古屋は城でもつ」と歌われているように、名古屋城は往時から人をひき付ける魅力をもった城でした。ここでは名古屋城の歴史を紐解くとともに、その特徴について紹介します。

名古屋城の歴史

名古屋城の歴史

名古屋城の前身は、16世紀前半に駿河の守護であった今川氏親(うじちか)が築いた那古野城であったとされています。現在は二の丸庭園に城跡の碑が建てられていますが、この那古野城は織田信長が生まれた城とも言われています。

信長の父、信秀が今川氏を追放し城主になると、その後信秀から城を引き継いだ信長は、1555(天文24)年清洲城に移るまで那古野城を居城としました。のちに信長の叔父にあたる織田信光、また林秀貞が城主となりますが、1582(天正10)年に那古野城は廃城とされます。その後、名古屋城を築いたのは関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康です。大阪城を拠点とする豊臣家へのけん制の意図もあり、関東防衛線の最大拠点としてこの地が選ばれました。

1610(慶長15)年に築城が始まり、2年後に天守や櫓が完成します。1615(元和元)年に徳川義直(よしなお)が入城し、翌年には二の丸御殿が完成することとなりました。この普請には豊臣秀吉と縁の深かった多くの大名が任命されており、これにはそれらの諸大名の財力を削ぎ、徳川家へ忠誠を誓わせると言う目的がありました。名古屋城の完成とともに、徳川幕府もまた政治的基盤を盤石にしていくことになります。

現在その城跡は名城公園として開放され、復元された金の鯱とともに名古屋市のシンボルとなっています。

名古屋城の特徴

名古屋城は梯郭式平城で、築城された名古屋台地の崖を利用し、またその先の湿地と木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川の天然の要害を利用してつくられた城です。また天守の建つ本丸を囲み、二の丸、三の丸、西の丸、御深井丸(おふけまる)があり、さらにその外側を三の丸が取り囲んだ輪郭式縄張りとなっています。大天守は地下を含め五層六階、南側には二層三階の小天守が連結されています。

名古屋城の特色を示すのは大天守の上に付けられた金の鯱です。修復や加工を繰り返した鯱は、名古屋大空襲により1945(昭和20)年に焼失しますが、現在は復元されています。この他、本丸御殿に残された襖絵や杉戸絵、隅櫓や門など、名古屋城で見られる多くが国の重要文化財に指定されています。