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八王子城の特徴



東京都八王子市に残される八王子城跡は、甲州街道の関所である小仏関跡や滝山城跡などと並び、現在は本丸のある中心部と山麓に建てられていた麓の居館跡が国の指定する重要な史跡とされています。戦国時代から近世を通じて多くの歴史を産んだ八王子城は、2006年には日本城郭協会から「日本100名城」にも選ばれました。ここではそんな八王子城の歴史と特徴について詳しく説明します。

八王子城の歴史

八王子城の歴史

八王子城は戦国時代末期、小田原を本拠としていた北条氏康(ほうじょううじやす)の三男、北条氏照(うじてる)によって小田原城の支城として築城されました。

滝山城を本拠地としていた氏照が、深沢山の山頂に八王子城をいつ建てたのかは、はっきりとは分かっていませんが、1584(天正12)年から1587(同15)年の間と考えられています。

1590(同18)年6月23日、豊臣秀吉の関東制圧により上杉景勝(うえすぎかげかつ)、前田利家軍による総攻撃が仕掛けられ、氏照は不利な情勢のなか籠城をしますが、戦闘中の八王子城は、主力のほとんどが小田原城へ向かっており兵力も手薄の状態だったため、一日の戦闘で落城し、敢え無く廃城になりました。

また、これをきっかけに小田原城は開城、北条氏は滅亡することになります。八王子城に残っていた女、子どもは、豊臣軍が火を放ったためその多くが御主殿の滝に身を投げ、滝が流れ込む川は三日三晩の間、血で赤く染まったと言われています。氏照は八王子城を完成させることができませんでしたが、完成した姿は壮大な城郭が構想されていたと言われています。1990年には発掘調査により、御主殿地区の通路やそこに至るまでの古道の石段、石畳が整備復元されました。

八王子城の特徴

八王子城が建てられたとされる近世においては、多くの城が平地を利用した平山城、平城が主流でしたが、八王子城は深沢山の山頂に築かれた山城です。自然の地形を利用した要塞と言う役割の強い山城の築城は時代の潮流とは逆行した物ですが、この城の築城の理由には、北条氏がそれ程までに守りを重視していたと言う歴史的背景があります。

北条氏はこの他にも山城を築いていますが、八王子城はそのなかでも最大規模の物で、発掘により石垣などに近世城郭の特徴などが見られることも分かっています。山頂には要害地区、御主殿が建てられ、麓は居館地区、城下町を含む根小屋(ねごや)地区に分けられていました。また、発掘調査では焼米、弾薬、古銭に加え、青磁、白磁、赤絵などの陶器が発掘されました。