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江戸城の特徴



現在では皇居として知られている江戸城跡は、徳川家康の居城であり、江戸幕府の政庁として江戸の中心地であったと同時に、近世から近代にかけて数々の歴史ドラマを生んだ名城でもあります。かつては本丸、二の丸、三の丸のあった場所が「皇居東御苑」として開放されており、季節を問わず多くの観光客が足を運んでいます。ここでは江戸城の歴史を振り返るとともに、江戸城のもつ魅力について紹介します。

江戸城の歴史

江戸城の歴史

徳川家康が1590(天正18)年に入城した当時、江戸城は実に質素な城でした。そもそも江戸城は、室町時代の武将である太田道灌(おおたどうかん)が1457(長禄元)年に築城した物です。入城した家康は、幕府の威光を示すために、1603(慶長8)年から江戸城の造営に着手します。この工事は二代将軍の秀忠、三代将軍の家光へと引き継がれ、1636(寛永13)年に総構が仕上がるまでおよそ40年の歳月を費やしました。

こうして江戸城は、江戸時代を通じて十五代の将軍の居城として、日本の政治の中心地となりました。1657(明暦3)年1月18日に発生した、振袖火事ともよばれる大火事により、江戸城は天守や本丸を始めほとんどの建物が焼け落ちます。当時の副将軍であった保科正之(ほしなまさゆき)の進言により、幕府は江戸の町の復興に重点を置き、天守は二度と再建されることはありませんでした。幕末になると、江戸城の周辺では1860(万延元)年に桜田門外の変、1862(文久2)年に坂下門外の変が起こるなど、動乱の渦中に巻き込まれるようになります。1867(慶応3)年には十五代将軍慶喜が大政を奉還し、翌年江戸城は明治新政府に明け渡されることとなりました。

江戸城の特徴

江戸城は、本丸を取り囲むように二の丸、三の丸、西の丸、北の丸が渦巻き状に配置されている輪郭式の縄張りを採用していました。さらにその外側の外堀や神田川、隅田川に及ぶ範囲を総構とした国内最大の城郭であることが特徴です。かつて五層の天守が建造されていた場所には、現在は天守台のみが築かれています。この姿となったのは、江戸の大半が大火にのまれた大火事「明暦の大火」による焼失がきっかけでした。五層の天守焼失後にその役割を果たしていたのが富士見櫓とよばれる三重櫓です。また、大手門や井伊大老の暗殺で知られる桜田門など、当時の姿を残した門や橋、かたちこそありませんが、「忠臣蔵」の刃傷沙汰で有名となった松の廊下の跡地など、江戸時代を通じて様々なドラマの展開された場を楽しむことができます。