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重文七城「高知城」の特徴



高知市に建つ高知城は「現存12天守」のひとつに数えられ、江戸期に建てられた建築物の多くが現存すると言う非常に珍しい城です。築城当時から様々なエピソードの残される高知城は、高知県のシンボルとしてだけではなく、歴史ファンからも高い人気があり多くの人たちが足を運んでいます。初代城主の山内一豊と妻である千代の2人を扱った大河ドラマも人気を集めました。

高知城の歴史

高知城の歴史

高知城は、1601(慶長6)年に山内一豊によって大高坂山(おおだかさやま)に築城が開始されました。一豊が入国した土佐国は、関ヶ原の戦い以前は長宗我部(ちょうそかべ)家が統治しており、長宗我部元親(もとちか)はこの地に幾度となく築城を試みましたが、洪水に見舞われて諦めざるを得ませんでした。高知城が竣工するにも時間を費やし、2年後に本丸と二の丸が、10年後に三の丸が完成し、これによりようやく全城郭が完成しました。山内家は明治に至るまで十六代、この高知城を居城とします。しかし、一豊が入国した際には長宗我部の家臣たちからの抵抗に遭い、多くの血が流されました。そのとき桂浜で開かれた相撲大会では、反抗分子が捕えられ処刑されるなどの弾圧もありました。そのため一豊が入城する際には隊列が組まれ、その後も数日間鉄砲が放たれ太鼓が打ち鳴らされ、一豊の威勢が示されることとなります。

1727(享保12)年には大火により城郭の大半が焼失しますが、20年後の1747(延享4)年に再建されます。明治になると廃城令により、本丸や追手門などの一部を残し、多くの建造物が取り壊されました。1874(明治7)年になると城郭全体が高知公園として開放され現在に至ります。

高知城の特徴

高知城の特徴は多くの建造物が江戸時代の姿のままに残されていることにあります。特に重要文化財でもあり、天守に連結されている懐徳館(かいとくかん)と名づけられた本丸御殿は貴重で、本丸御殿がこのようなかたちで残っているのは珍しいことです。天守は四重六階で、最上階の高欄は初代城主一豊の先の居城であった掛川城の物を模して作ったと言われています。この天守と懐徳館に加え納戸蔵や追手門や廊下門、矢狭間塀などの塀が国の重要文化財に指定されています。これらの建造物は1948(昭和23)年から保存修理が開始され、貴重な歴史資料として後世に残していくために様々な労力と技術が投入されています。