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重文七城「宇和島城」の特徴



愛媛県宇和島市は、江戸時代には「伊達十万石の城下町」とよばれ四国西部の中心として文化を発展させてきました。そしてそのシンボルとして親しまれているのが宇和島城です。自然を利用した城としても知られており、たくさんの草が生い茂った中に建つ石垣が魅力です。侵入者を惑わすトリック城としても知られていた宇和島城には、今でも多くの人たちが足を運んでいます。ここではその宇和島城のもつ魅力について見ていきます。

宇和島城の歴史

宇和島城の歴史

宇和島城の前身は板島丸串城(いたじままるくしじょう)と呼ばれていました。この城の築城年は詳しく分かっていませんが、宇和島城となったのは江戸時代に入ってからのことで、1596(慶長元)年に入城した藤堂高虎(とうどうたかとら)によって近世独特の城郭として築城されました。

高虎は他に今治城伊賀上野城などを築城した名城築家としても知られており、宇和島城には6年の歳月をかけて築城されたため、高虎の特色がよく出た城であるとされています。1608(慶長13)年に高虎が伊賀・伊勢に転封されると、宇和郡は幕府の直轄となります。その後、1614(慶長19)年に伊達秀宗(だてひでむね)が入封し、翌年に入城します。その後は伊達家の居城となり明治を迎えます。秀宗の時代には宇和島藩は財政難となっており、財政再建を強引に推し進めようとした山家清兵衛(やんべせいべい)が惨殺された「宇和島騒動」は、のちに歌舞伎や講談の演目として有名になります。1664(寛文4)年には、幕府の許可を得て宇和島城は大改築されています。その際に今日に残る白亜の天守が完成しました。宇和島城を鶴島城とも呼ぶのは、この天守の白壁に由来しています。

宇和島城の特徴

宇和島城は山頂に本丸、そしてそれを囲む二の丸と、麓の三の丸が配置された梯郭式平山城です。城の外郭がいびつな五角形をしているのが特徴で、これは築城主である藤堂高虎の設計による物です。これには外部から来た者に城郭を四角形だと思わせ、非常時には残りの一方を利用すると言う意図があります。寛永のころ、四国の城を幕府の隠密が巡視しましたが、その報告書にも宇和島城の見取り図は四角形で描かれていたとされ、まさに名城築家としての高虎の個性が十分に発揮された名城であると言うことが分かります。また、三重三階で総塗籠式の天守は装飾性が重視され、千鳥破風(ちどりはふ)や唐破風(からはふ)など、小ぶりな天守でありながら様々な衣装が凝らされているのが特徴です。