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国宝五城「松江城」の特徴



島根県松江市に建つ松江城は市民のシンボルとして親しまれ、四季を通じて多くの観光客で賑わいを見せています。天守からは360度を見渡すことができ、かつての城下町と宍道湖などの眺めが来る人を魅了し続けています。松江城のある松江城山公園は桜の名所としても知られており、周辺にも様々な施設がつくられています。ここでは松江城の歴史を眺めつつ、その魅力について見ていきます。

松江城の歴史

松江城の歴史

松江城が築城された背景には、まず関ヶ原の戦いで東軍として参加した堀尾吉晴(ほりおよしはる)、忠氏(ただうじ)親子の功績がありました。これにより出雲と壱岐の24万石を与えられた吉晴は、始め月山富田城(がっさんとだじょう)に入城しますが、この城が政治を執るには難点のある山城であったため、新しい城を必要としました。そこで新たな築城場所に選ばれたのが、交通の便にも優れ水に恵まれた、松江城の立地場所となります。この間に忠氏が死去し、また完成直前に吉晴も亡くなってしまいます。

そこで当時13歳だった忠晴(ただはる)を城主として、1611(慶長16)年に松江城が完成しました。忠晴が1633(寛永10)年に33歳の若さで亡くなると、翌年に京極忠高(きょうごくただたか)が新たな城主となります。このとき新たに三の丸が造営されることとなりました。京極氏は一代しか続かず、1638(寛永15)年に松平直政(まつだいらなおまさ)を城主に迎えると、以後明治まで松平家が城主となります。明治になると廃城令により松平家は城を手放し、民間に払い下げとなりました。松江城は一度他の人に落札されますが、のちに勝部本右衛門(かつべもとうえもん)や高城権八(たかぎごんぱち)らが資金を調達し買い戻すことで取り壊しを免れることができました。現在は松江市に寄付されています。

松江城の特徴

松江城は亀田山の地形を利用した平山城で、亀田山の山頂に本丸を配置し、南に二の丸、堀を挟んだ三の丸を配置した輪郭連郭複合式の縄張りとなっています。本丸に築かれた天守は五重六階で、天守入口の防備のための付櫓とともに国宝に指定されています。実践的な天守としても知られ、石落としや鉄砲狭間などの軍事設備が備え付けられているのも特徴です。二の丸の櫓は廃城令により取り壊されましたが、2001(平成13)年に3棟の櫓が復元されました。また、堀を隔てて連なる武家屋敷跡には当時の屋敷も残されており、小泉八雲の旧居があることでも知られています。