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重文七城「弘前城」の特徴



青森県弘前市に建つ弘前城は、江戸時代に築城されてからおよそ400年の歴史をもっています。東北を代表するこの名城は、現在は弘前公園として博物館植物公園とともに観光客で賑わいを見せており、四季を通じて様々なイベントも開催されています。また弘前公園は桜の名所としても有名です。ここでは弘前城のもつ歴史を振り返るとともに、その魅力について説明します。

弘前城の歴史

弘前城の歴史

弘前城は、弘前藩の津軽為信(つがるためのぶ)が1600(慶長5)年に築城を計画し、2代の藩主津軽信枚(のぶひら)が1603(慶長8)年に築城を開始しました。もとは南部氏の所領であった津軽地方から津軽家が独立したと言う背景もあり、弘前城は南部氏から津軽地方を守るために築城された物でした。城が完成したのは翌年のことで、その後、津軽家の居城として歴史を重ねることになります。1627(寛永4)年には、落雷により五重の天守を焼失します。このとき雷は天守の屋根に添えられた鯱(しゃちほこ)に落ちたとされています。天守の三層目には弾薬庫があったことから、そこに火が回って大爆発が起こったのです。

これにより長い間、天守のない城となりましたが、1810(文化7)年に本丸東門に配置されていた三重の櫓を改築することで今に残る天守となりました。「弘前城」とよばれるようになるのはこの翌年からのことで、それ以前は「高岡城」と呼ばれていました。明治政府による廃城令で弘前城は廃城となりますが、1895(明治28)年に弘前公園として開放されます。現在は天守、二の丸の辰巳櫓、未申櫓、丑寅櫓、南門、東門、三の丸追手門、東門、北の郭北門などの9件が重要文化財に指定されています。

弘前城の特徴

弘前城は本丸、二の丸、三の丸など7つの曲輪、8つの櫓からなる梯郭式縄張の平山城です。江戸時代に焼失するまで五重であった天守は、修築された現在では三重三階の複合式層塔型となっています。天守の屋根は大雪が降っても割れることのない銅瓦葺きが使用されており、東北の城ならではの特色を示しています。一般的には大手門とされる正面玄関は、弘前城では追手門と言います。こちらの門も東北の城らしく通常よりも高く作られていますが、これは積雪を考慮してのことです。櫓には通常備えられているはずの石落としが設けられていないことも特徴です。これは弘前城に建てられた櫓が、敵の侵入を防ぐと言う機能以上に物見台としての役割重点が置かれていたと言うことであり、ここにも弘前城の特色を伺うことができます。