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国宝五城「彦根城」の特徴



滋賀県彦根市のシンボルである彦根城は、姫路城松本城犬山城松江城とともに、天守・付櫓・多聞櫓が国宝に指定されている名城です。2007年には築城400年を迎えた歴史のある彦根城は、その年の記念祭のイメージキャラクターとなった「ひこにゃん」も人気を呼び、今もマスコットキャラクターとして活動を続けています。現在にも繋がる彦根城の魅力について、ここでは詳しく説明します。

彦根城の歴史

彦根城の歴史

彦根城の築城が始まったのは1603(慶長8)年です。関ヶ原の戦いにおける東軍の勝利に貢献した伊井直政(いいなおまさ)の息子、直継(なおつぐ)が城主のときでした。この新しい城である彦根城は徳川家から申し付けられたある役割を担っていました。それは名古屋城和歌山城、姫路城などとともに、大坂城に居を構える豊臣家と、それ以外の西国大名を監視すると言うものでした。徳川幕府を開いたとは言え、まだ西国とは緊張関係にあった江戸時代初期の政治状況を伺い知ることができます。彦根城の築城は急を要するものでもあったため、伊賀、伊勢、尾張、美濃、飛騨、若狭、越前の7ヵ国の大名にこの城の普請の援助が命じられました。

しかし築城中に徳川家と豊臣家との争いが本格化したため、結局完成に至ったのは1622(元和8)年のことです。20年近くもかけて彦根城は築城されました。このときは城主が伊井直孝(なおたか)に代わっています。直孝は東京都の豪徳寺に残る「招き猫」のエピソードでも有名で、これが「ひこにゃん」が猫であることの由来ともなっています。また、彦根城は明治に至るまで井伊家がずっと所有していた城としても知られています。明治政府による廃城令により多くの建物は取り壊されることになりましたが、現在も天守や櫓、門などが残っています。

彦根城の特徴

彦根城は丘陵の上に建てられた平山城で、本丸、西の丸、鐘の丸、山崎曲輪(やまざきくるわ)を配した連郭式構造です。また、国宝に指定されている天守は三層四階で、そこに同じく国宝の付櫓が接続された複合式の構造をしています。大坂城への包囲網を敷く城として完成が急がれた彦根城は、実は天守が大津城の物を解体しその材木を利用してつくられた物で、また、西の丸の三重櫓を小谷城から、太鼓門を佐和山城から運び込んで移築したと言うユニークな城でもあります。かつての二の丸にあった長く伸びた多聞櫓は国宝に、鐘の丸にあった天秤櫓などは重要文化財に指定されています。