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国宝五城「犬山城」の特徴



愛知県犬山市に建つ犬山城は、現存十二天守のひとつであると同時に、現存するなかでは日本最古の木造天守を備えています。木曽川を見下ろす小高い丘の上にそびえたつ平山城である犬山城は、松本城姫路城彦根城松江城と並び天守が国宝指定にされている名城でもあります。かつての城下町は今も古い町並みが残されており、四季を問わず多くの観光客が足を運んでいます。ここでは犬山城について詳しく見ていきます。

犬山城の歴史

犬山城の歴史

犬山城は、1537(天文6)年に織田信長の叔父にあたる織田信康(のぶやす)が木之下城から城郭を移して築城されたとされています。これにより木之下城は廃城となりましたが、犬山城の南側にあったその城跡は、現在は愛宕(あたご)神社となっています。その後、1547(天文16)年には織田信清(のぶきよ)が城主となりますが、領地をめぐって信長から反感を買い落城すると、信長の家臣池田恒興(いけだつねおき)が代わりに入城しました。信長の死後、豊臣秀吉が天下を統一すると石川貞清(いしかわさだきよ)が城主となりますが、関ヶ原の戦いで西軍側であった貞清は没落し、1601(慶長6)年に徳川家康に仕えていた小笠原吉次(おがさわらよしつぐ)を城主に迎えます。

現在残されている天守ができたのは、吉次のあとに入城した成瀬正成(なるせまさなり)が城主となったときのことでした。その後は成瀬家が9代に渡り居城としていましたが、明治の廃藩置県により天守を除いて櫓や門などほとんどの建物は取り壊されることになりました。2004年までは旧城主である成瀬家が個人で所有する唯一の城でしたが、現在は財団法人犬山城白帝文庫の所有となっています。

犬山城の特徴

犬山城は木曽川の南岸に建ち背後には断崖がそびえており、そこからは攻め入ることが困難であることから「後堅固(うしろけんご)の城」ともよばれています。天守は三層四階、さらには地下にも二階が付けられています。天守のある本丸の外側に杉の丸、樅の丸、桐の丸、松の丸が二の丸として配置され、その外には三の丸が設けられています。木曽川に沿った丘の上に立つ様子は、江戸時代の儒学者である荻生徂徠(おぎゅうそらい)が、中国の三国時代の名城であり、李白が漢詩に詠んだことでも知られる「白帝城」になぞらえた程美しい物で、これが犬山城の通称として残っています。現在は天守の他に本丸の石垣や空堀を見ることができ、またかつての城下町の面影を残す町並みからは、城郭と城下町が一体となった総構えの構造を伺い知ることができます。