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国宝五城「松本城」の特徴



長野県松本市のシンボルでもある松本城は、現存十二天守のひとつであり、1930(昭和5)年に敷地全体が、1952(昭和27)年に天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が国宝に指定されました。また2006年には日本名城100選にも選ばれ、毎年多くの観光客で賑わいを見せています。ここでは松本城の沿革を詳しく説明するとともに、松本城のもつ魅力について触れていきます。

松本城の歴史

松本城の歴史

松本城の築城は永世年間(1504~21年)のこととされていますが、1590(天正18)年に豊臣秀吉の家臣である石川数正(いしかわかずまさ)、そしてそれを引き継ぐかたちで1593(文禄2)年に息子の康長(やすなが)が松本城天守の工事に着手しました。その後、1613(慶長18)年には小笠原秀政(おがさわらひでまさ)が、そして1617(元和3)年には戸田康長(とだやすなが)、1638(寛永15)年には堀田正盛(ほったまさもり)、1642(寛永19)年には水野忠清(みずのただきよ)、1726(享保11)年には戸田光慈(とだみつちか)がそれぞれ入封しており、松本城は次々と城主が変えながら、城郭や城下町を次第に整えていった城でもありました。

水野氏統治下の1686(貞享3)年には「加助騒動」とよばれる一揆が起こり、首謀者の多田加助を処刑した際には、城の天守が大きく傾いたと言う逸話が残っています。これを巷では加助たち農民の怨念だとする向きもありましたが、これは地盤の弱さや支柱の老朽化などが原因として考えられています。1903(明治36)年から1913(大正2)年にかけてようやく修復作業に入ります。しかし、その後も再び天守は傾き始め、1950(昭和25)年から5年の歳月を費やし、あらためて修復をしました。それぞれ明治の大修理、昭和の大修理と呼ばれています。

松本城の特徴

松本城は外壁板に黒漆を塗ることで黒く光り輝いていることから、別名「烏城」ともばれています。現存十二天守のなかでは唯一の平城で、本丸、二の丸、三の丸が三重の水堀で囲まれています。五重六階建ての大天守は国宝に指定されている天守としては最古の物です。その大天守と、城主を変えていきながら増えていった辰巳附き櫓や月見櫓などが複合式連結式天守を形成しています。松本城は戦を経験したことのない城としても知られていますが、矢狭間や鉄砲狭間、石落としなどが設けられている天守からは、やはり軍事施設としての松本城の特色が感じられます。大天守の四層と五層がほぼ同じ大きさであることも外見的な特徴のひとつですが、記録によると築城当初は異なる大きさであった物が、五層を板で覆ってしまったために今のようなかたちになったと言うことです。