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国宝五城「姫路城」の特徴



兵庫県姫路市に建つ姫路城は、1993(平成5)年に奈良県の法隆寺とともにユネスコによる日本初の世界文化遺産に指定された、日本が誇る史跡建造物です。ユネスコの選定理由にもあるように、天守をはじめとして曲輪、石垣、櫓、門、土塀などが、つくられた当初のかたちでほぼそのままに残されていると言う、日本で非常に珍しい城でもあります。ここでは姫路城について詳しく説明します。

姫路城の歴史

姫路城の歴史

鎌倉、南北朝時代の武将である赤松貞範(あかまつさだのり)は、1346(正平元)年姫山に今の姫路城の基礎となる本格的な城、姫山城を築きました。時代がくだり、1580(天正8)年に豊臣秀吉が姫路城に入城すると、秀吉は三層の天守を建立します。姫路城を完成させたのは1600(天正13)年、関ヶ原の戦いのあとに城主となった池田輝政(いけだてるまさ)でした。入城した翌年に城の大改築に着手し、この大規模な工事は1609(慶長14)年に終了するまで9年の歳月を費やしました。その後、1617(元和3)年に城主となった本多忠政(ほんだただまさ)により三の丸、西の丸が増築され、今に残されるかたちとなりました。忠政の息子忠刻(ただとき)の正室が、歴史に名高い2代将軍徳川秀忠の娘千姫です。7歳で豊臣秀頼に嫁いだ千姫は、祖父家康と実父秀忠による大坂城攻撃のために19歳で夫を失うことになりました。そして1621(元和7)年には忠刻とのあいだにできた長男を三歳で失い、2人目の夫である忠刻もまた1626(寛永3)年に病死してしまいます。このとき千姫は31歳で、千姫は本多家を去ったのちに出家することになり、まさに時代に翻弄された女性でした。また姫路城は怪談話「播州皿屋敷」で知られる「お菊井戸」があることでも有名です。

姫路城の特徴

姫路城は別名「白鷺城」ともよばれています。「しらさぎじょう」または「はくろじょう」と二つの読み方が存在します。この名は城壁が白漆喰(しろしっくい)で塗られている様子が白鷺の群れに見えるからとも、姫路城が姫山と鷺山の二つの丘陵を削ってつくられていることに由来するとも言われています。白塗りの見事な城壁は、本来は軍事施設であるはずの城とは違った印象を見る人に与えます。天守は五層六階の大天守と三つの小天守が渡櫓(わたりやぐら)でつながった連立式天守です。また、これらの天守曲輪を中心として螺旋状に縄張りが築かれ、その外に中曲輪、外曲輪がそれぞれ築かれています。この珍しい縄張りは姫路城から始まったもので、のちに江戸城金沢城にも応用されることになります。