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攻城戦とは



日本の城郭は、山間部に建てられた山城から、次第に平地の平山城、平城へと移り変わり、徐々に巨大化していきました。自然の地形を充分に利用した天然の要塞とも言うべき山城に比べ、平山城や平城では戦に備えた人工的な仕掛けが多くなされています。城が戦だけではなく政治的拠点となってからは、城を落とすことこそが敵から勝利を収めることになりました。ここでは代表的な攻城戦について説明します。

攻城戦について

攻城戦について

城を落とすと言っても、攻撃によって城そのものを完全に破壊してしまうと言うことはごく稀でした。ことに戦国時代では、自分が攻め落とした城の城主になれば良いため、損害を最小限にすることもありました。またその頃には城が政治的拠点となっていたこともあり、ひとつの城を奪うと言うことは、そこを拠点として展開していた政治力・経済力を奪うと言うことでもありました。城攻めには大きく分けて力攻め、兵糧攻め、水攻めの3つに分類することができますが、それぞれに利点も難点もあります。

力攻め

力攻めは、読んで字の如く力任せに敵の城に攻め入ることです。戦略や策略は用いず自分の戦力をそのままぶつけると言う方法は、短期間で決着がつくものの城側からの攻撃による被害も甚大となるため、戦略に基づいた合理的な城攻めが用いられるようになっていきます。

兵糧攻め

攻め込もうとする城内への食糧の輸送線を断ち、相手が降伏するのを待つのが兵糧攻めです。城内に備蓄されている食料がなくなるまで周囲を取り囲むこの戦術は、豊臣秀吉が得意としたものでもありました。秀吉本人が「干殺し」とも「渇(かつ)え殺し」とも表現し、兵糧攻めの中で有名なのが鳥取城の戦いです。事前に因幡国の米を買い占めると言う下準備をしたあと、1581(天正9)年7月12日に鳥取城を取り囲みます。鳥取城の吉川経家(きっかわつねいえ)が降伏したのは10月25日のこと。百日以上にも及ぶ兵糧攻めにあった城内では、戦闘用の馬や木の葉、雑草にいたるまで食べつくされたと言います。

水攻め

秀吉の戦術力は、水攻めにも見ることができます。高松城は周囲を豊かな水場に恵まれた平城ですが、秀吉はそこを逆手にとりました。1582(天正10)年に高松城に攻め入る際、城の側を流れる足守川をせき止め、その水を高松城に向けることで城を水没させようとしました。この戦術は紀州の太田城攻めにも用いられ、いずれも成功を収めています。

その他の城攻め

兵糧攻めや水攻めには長い時間がかかるため、長期戦に備えて、攻め入る城の周囲にはいくつかの付城を築くことがあります。それにより兵力を疲弊させることなく戦に臨むことができるのです。織田信長が小谷城を攻め入る際に築いた横山城、虎御前山(とらごぜやま)砦などが有名です。