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天守とは



天守と言う言葉より、天守閣と言う言葉に聞き覚えがあるはずです。この2つは実は同じ意味をもっています。織田信長はかつてこれを「天主」と命名しました。「天守」「殿主」「殿守」と表記する場合もありますが、いずれも読みは「てんしゅ」です。これらの漢字表記から、天守がどのような物かイメージが湧いてきます。ここで、天守について具体的に見ていきたいと思います。

天守か、天守閣か

天守か、天守閣か

天守閣と言う言葉に付された「閣」とは、金閣銀閣で使われる「閣」と同じ意味を持ち、高級建築に付された言葉です。天守閣と言う言葉が生まれたのは江戸時代後期になってからのことでした。つまり天守閣とは天守の俗称なのですが、これが庶民の間で広く伝わり、明治に入ると一般的な言葉となっていったのです。つまり江戸時代の人々にとって、天守とは豪華なイメージのある物でした。それは現在わたしたちが城に対して持つイメージにとても近い物です。

天守の種類

一言で天守と言っても、実はその種類は様々です。建築意匠により形式、様式に分けることができますが、形式で分けた場合には望楼型天守、層塔型天守があり、様式で分けた場合には連立式天守、複合連結式天守、連結式天守、複合式天守、独立式天守に分類することができます。現存している天守建築はわずか12城ですが、このような区別が可能であることからも、かつては実に多くの天守が作られていたことが分かります。

何のためにつくられたのか

城と言うと天守のことを思い浮かべる人が多いように、天守とは言わばその城の象徴でもあります。天守はもともと軍事施設であり、特に最終防御設備として作られましたが、時代が進むにつれて次第にその機能は薄れていきます。数いる武将の中で、天守に住んだのは安土城を築城した織田信長だけであるとされています。豊臣秀吉は、信長と同じく大坂城に豪華な天守を作りましたが、そこに住むことはなく、他から来た客に見物をさせていました。徳川家康が築城した名古屋城は、外部こそ巨大で豪華な物ですが内部を飾りたてることはありませんでした。書院造で作られた天守はやがて質素な物となり、多くの城の天守はただの空き家として存在するだけになります。かつては籠城に備えて畳が敷き詰められ、兵舎としての役割を果たすことができるよう準備されていましたが、これもやがて板敷きになっていきます。天守は次第に城主の権威を示すための象徴として、機能を果たしていくようになりました。