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城情報

城の歴史(~中世)



磯城(しき)や葛城(かつらぎ)、高城(たかぎ)や稲城(いなぎ)など、古代にまで遡ることのできる地名で「城」がつくものの多くは「城」を「き」と読みます。「き」とは「柵」とも書くことから、周りを柵で囲まれた建造物のことが、のちの城の原型だと考えることができます。ここでは、古代から中世にかけての城の変遷をたどっていきます。

城の起源

城の起源

日本における城は、古代の西日本に残された神籠石(こうごいし)の遺跡や、東北に多く見られる城柵と呼ばれる軍事的防御施設にその端を発すると言われていますが、現在では弥生時代における集落の発掘調査によって、日本における城の起源をそれらの集落自体に求めると言う、新しい解釈が定着しつつあります。

そのひとつが大阪府の観音寺山遺跡や山口県の吹越原(ふきこしばら)遺跡に見られる高地性集落です。丘や山の上に集落を作り、地形を利用したり一部は切り崩したりすることによって集落を独立させ、外部の敵からの侵入を防ぎました。これらの集落から平地に少し下りたところにあるのが環濠集落です。環濠集落と言うと佐賀県の吉野ケ里遺跡が有名ですが、ここには堀を掘ったり周囲を柵で囲ったりするなどの、従来の城に見られる特徴が表れるようになります。時代としては卑弥呼が倭国の女王であった2世紀ごろに多いとされ、神奈川県の大塚遺跡では、集落にある住居全体を囲う環濠の存在が明らかにされています。

古代から中世の城

四世紀から六世紀あたりにかけて、九州地方を中心として神籠石と呼ばれる物が築かれるようになります。福岡県の高良山(こうらさん)、女山(ぞやま)、佐賀県の帯隈山(おぶくやま)などに見られる神籠石は、山城の一部として作られていると解釈されるようになりました。

このように山の上に城を築くと言うのは、城主にあたる人物の所有する兵力が小さく、また敵に攻め込まれにくい場所を選んだと言う背景があるようです。日本が大和朝廷により律令国家としての体裁を整えるようになると、東北地方には城柵が多く築造されるようになります。蝦夷の征伐、及び東北地方の経営と言う朝廷の目論見も手伝い、この時期には多くの城、及び城柵が築かれることになります。宮城県にある多賀城は724(神亀元)年の築城であるとされていますが、そこは大垣とよばれる土塁で囲まれ、また行政府としての政庁正殿跡も残っており、律令国家としての日本が徐々に形成されていくと言う時代の動きをみることができます。