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時代を超えた スゴ城ランキング 第二回 登山も楽しめる人気の城ランキング

老若男女、幅広い世代に人気のアクティビティとなった登山。
気候の良い季節にはハイキングやトレッキングをしてみたいと考える人もいるのではないでしょうか。そこで、登山コースと人気のお城が一緒に楽しめる、そんなお城を集めてみました。

竹田城
写真提供 吉田利栄

1位竹田城(兵庫県)

日本にもマチュピチュがあった!?
天空の城 『竹田城』

現在、観光地としても人気急上昇中の「竹田城」は、雲海の中に浮かぶその幻想的な城の姿から「天空の城」、「日本のマチュピチュ」とも言われています。標高353.7メートル、比高254.6メートルの山城は、虎が臥せているようにも見えるため「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」との異名も持っています。
竹田城は、但馬(現在の兵庫県)の守護大名だった山名宗全(やまな そうぜん)が築城し家臣の太田氏が城主となりますが、1580(天正8)年、豊臣秀吉の但馬征伐で落城しました。その後、城主となった豊臣家臣の赤松広秀(あかまつ ひろひで)によって、竹田城は現在のような石垣積みの城郭を持つ山城に整備されました。
昭和以降、何度も整備を繰り返しているとは言え、竹田城のように石垣がほぼ完全な形で残っている山城は珍しいことから、現在は国の史跡に指定され、かつ「日本百名城」にも選出されています。
なお、登山ルートも4コースあり、自分の登山レベルや好みに合わせて登ることができるようになっています。

尼飾城

2位尼飾城(長野県)

登山上級者に人気!?史跡・文化財の豊富な城

標高770メートル、比高400メートルと、険しい山城で知られる「尼飾城(あまかざりじょう)」ですが、東条氏が築城したことから、「東条城」とも呼ばれています。
尼飾城は、上杉謙信の軍事拠点でした。武田信玄側である信濃から越後(現在の新潟県)攻略への足がかりに重要な海津城(のちの松代城)の背後にあり、交通の要所であった川中島を一望できる高所にあることや、越後へ通じる北国街道の候可(そろべく)峠を監視する役割も担える城だったため、武田信玄は、家臣である真田幸隆(さなだ ゆきたか)らにこの城を攻略するよう命じました。尼飾城は三方が断崖絶壁で、西北は尾根になっているなど、山自体が要害であったことから、攻略に苦戦したと言われています。
現在、尼飾城への登山コースは複数あり、登り下りが大変な上級者向けルートもありますので、事前に確認してから登ることをおすすめします。頂上の尼飾城に行く道中にも、様々な史跡や文化財などが点在していますので、休憩がてらそれらを見て登るのも楽しみのひとつです。実際に海津城や川中島など一望しながら登ってみると、重要な拠点だったこともうなずけるかもしれません。

冠者岳城

3位冠者岳城(長野県)

頂上からの眺めが素晴らしい、
貴重な堀の残る城

標高1,223メートル、比高670メートルにある「冠者岳城(かじゃだけじょう)」は、信州百名山にも選ばれており、子檀嶺岳(こまゆみだけ)の頂上にあることから「子檀嶺岳城」とも言われています。
冠者岳城は、1585(天正13)年に真田昌幸(さなだ まさゆき)が上田城で徳川軍と戦った際、真田側にいた塩田城衆が謀反を起こし籠城した城として有名です。真田昌幸の息子である信之(のぶゆき)は、この謀反を起こした者たちを討伐するため、山の正面から戦闘の開始を告げる叫び声を上げ、敵に正面から攻撃させるよう仕向けながら、背後から鉄砲で撃ちかけて敵を攻略したと言われています。
またその後、再び真田氏が徳川氏の攻撃を受けたときは、真田の家臣であった小山田茂誠(おやまだ しげまさ)がこの冠者岳城を守ったと言われています。
現在はトレッキングコースが整備されており、この城でしか見られない「伏勢(ふせぜい)堀」と呼ばれる貴重な空堀を見ながらトレッキングを楽しめるようになっています。

4位高取城(奈良県)

初心者でも登れる!! 日本三大山城

高取城

「高取城」は、松山城(岡山県)、岩村城(岐阜県)と並んで「日本三大山城」のひとつに数えられ、「日本百名城」や国の「指定史跡」にも指定されています。
「三大山城」の中でも高取城は最も比高が高く、標高が583メートル、比高は390メートルあります。
1332(元弘2)年に越智邦澄(おち くにずみ)によって築城され、その後、秀吉の命令で城主となった本多氏により、近代城郭として整備されました。
高取城には、27の櫓(やぐら)、33の門、2,900メートルの土塀、3,600メートルの石垣、橋梁(木橋)9ヵ所、堀切5ヵ所と、要所に施設が設けられており、城内部分だけでも周囲は約3キロメートル、城全体を含めると、なんと約30キロメートルであったと言われています。
人里離れて築城された高取城は、江戸期以降も植村氏が城主となって引き継がれ、明治の廃藩置県で廃城になるまで続きました。
現在、天守跡までの道のりはハイキングコースになっており、高取町にあるいくつかのハイキングコースの中でも“人気ナンバー1”のハイキングコースとなっています。また、途中まで車でも上れるようになっているため、山登りが少し苦手な人でも安心して登れます。

5位阿坂城(三重県)

観光客に大人気!豊臣秀吉が生涯初にして
唯一の戦傷を受けた城

阿坂城
撮影:長屋整徳

「阿坂城(あざかじょう)」は、南北朝時代の有力武士、北畠(きたばたけ)氏によって築城され、標高321メートル、比高約250メートル、南北約300メートル、東西約150メートルの城域がありました。
阿坂城は、伊勢国の重要な拠点のひとつだったことから、1415(応永22)年、足利幕府軍に攻撃(包囲)され、水の補給路を断たれてしまい、城内にはほとんど水は残っていませんでした。
しかし、当時城主だった北畠氏は敵を欺くために、馬の背に白米を流し、あたかも城内に豊富な水があるかのように見せかけ、足利幕府軍を撃退したと伝えられています。
この戦から、阿坂城は「白米城」とも呼ばれるようになりました。
その後、1569(永禄12)年には、織田信長(おだ のぶなが)が伊勢制圧のため阿坂城を攻めますが、このときの総大将が、木下藤吉郎(きのした とうきちろう/のちの豊臣秀吉)でした。
この戦いで、敵将が放った弓矢が木下藤吉郎に当たり、秀吉が生涯初にして唯一の戦傷を受けたと伝えられています。
しかし、阿坂城から内通者が出たことなどが理由で結果的に阿坂城は落城することになり、そのまま使用されることなく廃城となりました。
現在、跡地は国指定の史跡になっており、見晴らしの良い山頂からの景色を見に、多くの観光客が訪れるスポットとなっています。

コラム

城本来の役割は、領内への敵の接近を防ぎ、自分の領地を守ることにあるため、領地の境界近くや、見通しの良い山の上に城を築くことは必須でした。急斜面や崖など自然の地形を巧みに活用し、斜面に沿って滑りやすい堀をつくったり、敵が迫ってきたら橋を落としたりと、城を守る工夫がされています。このように険しい山を縫うようにしてつくられた山城は、名だたる武将でさえ攻略に苦戦し、攻略できないこともあったようです。
織田信長が築城した安土城を発端に、城は威光を示すシンボルの役割も担うようになり、築かれる場所も山から低地へと移ります。しかし、過渡期には竹田城や高取城のように、山の上に築かれながらも、安土城と同じように石を高く積み上げたり、天守を持ったりする城も見られました。時代とともに変遷をしていく城の姿を見られるのも山城を楽しむひとつと言えるでしょう。
数々の城が、現在では跡地が登山コースや観光スポットとして親しまれています。場所によっては道のりが険しく、登山に慣れていないと厳しいコースもありますが、道が整備され、気軽に山歩きを楽しめるような城跡もたくさんあります。景色や自然の素晴らしさを感じるとともに、自然の中に築かれ攻めや守りの工夫を凝らした城跡に思いを馳せるハイキングやトレッキングも、楽しんでみてはいかがでしょうか。

参考文献・URL