荘厳堅牢、武家文化を象徴する日本の城。

荘厳堅牢、武家文化を象徴する日本の城。

2016年9月の情報をもとに制作しています。

世界遺産
国宝
重要文化財

蘇った壮大な白鷺「姫路城」
白漆喰総塗籠造りの白い城壁、その優美な外観により「白鷺城」の愛称で親しまれる世界遺産・姫路城を訪ねてみよう!

歌舞伎パンダ検太郎が行く!
橋
姫路城

中世には軍事施設として機能していた城は、戦国の世には主君や家臣の“住まい”としての機能も備えるようになりました。
城の中心には象徴となる天守が建築され、その周囲に境界線の外郭が設けられ、城郭としての形となりました。
現在、江戸時代やそれ以前に建築され、残っている現存天守はわずか12。なかでも姫路城は、優れた美と機能性を備えている点などが評価され、1993(平成5)年、「法隆寺地域の仏教建造物」と共に日本で初めての世界文化遺産として正式登録されたのです。

01 天守のそびえる姫山を中心に、地形を利用した城下町を内包する総構え

要塞として優れた城とは、縄張(設計・構成・仕組み)が整っているもの。姫路城の縄張は防御のための堀が3重の螺旋形という複雑かつ巧妙なものとなっています。この形式は江戸城と姫路城にしか見られないものです。城郭から離れ眺めると“白鷺”と称される通り優美なのですが、内堀から見上げると壮大さを実感できます。

姫路城周辺地図
GoogleMapsで見る

大天守は地下1階地上6階、渡櫓で3つの小天守とつながった大規模な城です。連なる屋根が白漆喰総塗籠造りの壁とコントラストを成し、華やかな構成美・構造美を見せてくれます。

1993(平成5)年、以下の2つの点が評価された、国宝姫路城は世界文化遺産に登録されました。

美的完成度が日本の木造建築の最高の位置にあり、世界的にも他に類のない優れたものである

17世紀初頭の城郭建築の最盛期に建造されながら、天守をはじめとする各建築物が良好に保存されており、防御面において工夫した日本独自の城郭の構造を最もよく示している城である

優れた縄張だったのが姫路城が現存する理由のひとつなのです!
姫路市キャラクター
しろまるひめ
へえ~

遡って1951(昭和26)年、既に天守郡と4棟の渡櫓は国宝に指定されていましたが、世界文化遺産は中曲輪(特別史跡指定区域)より内側と、より広範囲にわたっています。周辺の記念公園や好古園なども含まれているのです。

奈良の法隆寺と共に日本で初めての世界文化遺産になったでござるか!

02 徐々に城郭へと整備された姫路城

姫路城の歴史は古く、1333(元弘3)年、赤松則村が京に向かう途中、播磨国の姫山に砦を設けたことが始まりだと言われています。

戦国時代に入ると1346年(貞和2)年、赤松貞範が当地に本格的な城を築きました。
以降、小寺氏やその家臣・黒田氏が城主となり、次第に城は整備されてきました。
そして1580(天正8)年、羽柴秀吉が台頭してくると当時の城主・黒田孝高は秀吉に城を献上。秀吉は大改修を行ない、天守(3重)を持つ近世城郭へと造成すると共に石垣で城郭を囲い、従来「姫山の城」と呼ばれていたこの城を「姫路城」と改めます。さらに秀吉は城下町も構築したのでした。
そして関ヶ原の戦い以降は、功を成した池田輝政が城主となり、9年をかけて大改築を実施。池田氏のあとに入城した本多忠政は三の丸、西の丸他を増築します。こうして姫路城は現在のような規模へと整備されました。

「一時は私有物に!?大政奉還により城の位置付けが変わる」

大政奉還により明治に入ると、姫路城は国有となります。
しかし、廃城令1873(明治6)年によって不要なものとされ、競売にかけられたことも。一時は私有物となりますが、1892(明治25)年、陸軍省に寄贈されます。以降、連隊が設置され、三の丸の建物や武蔵野御殿など多くの建物が取り壊されてしまいました。
その後、日本の城郭を保存しようという運動が広まると、名古屋城と共に姫路城は国費で修復されることになりました。これが「明治の大修理」と呼ばれる改修工事です。

歴代の城主は13氏・48代
こんな大きな城が私有物だったでござるか!

「昭和の大修理と平成の修理」

明治の大修理を経て大正に入ると、姫路市は陸軍が使用していないエリアを借り受け整備。「姫山公園」として市民に公開されました。
1928(昭和3)年、史跡に指定され、文部省(現:文部科学省)の管理下に置かれました。そして、1931(昭和6)年、国宝(現在の重要文化財に相当するもの)に指定されました。しかし、時代は第二次世界大戦に突入。戦時中は、爆撃を避けるため姫路城は擬装網で覆われていました。終戦近く、姫路城下は空襲で焦土と化しましたが、姫路城は着弾するも不発弾であったり、すみやかに消火されるなどして大きな被害を免れました。
戦争が終わり、1950(昭和25)年に施行された文化財保護法において、重要文化財に指定され、翌年改めて天守群8棟が国宝に指定されました。

さらに、1956(昭和31)年からは大小天守と各渡櫓などの解体が行なわれ、本格的な大修理が行なわれました。これが「昭和の大修理」です。
そして平成に入ると、2009(平成21)年より2015(平成27)年まで、6年を費やした「平成の修理」が行なわれます。この修理では屋根と壁が中心に修復され、その愛称のように鮮やかな白い城壁が復元されました。

なんと670年前に最初の城が築かれたとは長い歴史でござるな!

03 まつわる逸話も多彩。城と共に生きた人々の足跡

「乱世のヒロイン・千姫の化粧櫓」

千姫は、徳川家康の三男で第二代徳川幕府将軍となった秀忠の長女として生まれますが、なんと2歳で豊臣秀吉と淀君の子・豊臣秀頼と婚約させられます。まさしく政略結婚ですが、7歳で嫁いで以降、千姫と秀頼は仲睦まじく暮らしていました。
しかし、1614・1615(慶長19・20)年の大坂の陣により豊臣家が滅亡すると徳川へと戻されます。その後、本田忠政の嫡男・忠刻へ嫁ぎます。忠政に姫路藩が与えられ、姫路城に入城する際は忠刻と千姫も同行。城内には忠刻と千姫の住居となる武蔵野御殿と千姫のための化粧櫓が建造されました。千姫は領民からも愛され、待望の姫も誕生。その後長男も生まれますが、この長男は3歳で亡くなってしまいます。そして忠刻が31歳の若さで病死。子宝に恵まれなかった千姫は、忠刻の弟が跡を継ぐことになった姫路城を出て江戸へと移ります。
その後は縁談も断り、仏門に入ったそうです。

「天守に住まう妖怪退治!刑部姫と宮本武蔵」

姫路城が建つ姫山には、刑部明神などの神社がありました。そして姫路城の天守には、刑部姫という妖怪が隠れ住み、年に一度、城主に城の運命を告げていました。あるとき、まだ若者であった宮本武蔵は名を隠し、足軽として姫路城に奉公していました。しかし、名高い武芸者であることが知られると、天守に住む妖怪退治を城主に命じられ、追い払うことに成功します。すると、別の姿をした刑部明神が現れ、武蔵に退治の褒美として郷義弘の名刀を授けたそうです。現在大天守の最上階には刑部明神が祀られた神社が建てられ、参拝客が訪れます。

本年は千姫が忠刻に嫁いで400年目となります。

「あの怪談話の舞台にも!城内には11の井戸が点在」

姫路城には籠城に備えた設備が多く残っていますが、11ある井戸もそのひとつ。その中で、二の丸の上山里広場にあるのが「お菊井戸」。有名な怪談「播州皿屋敷」に登場する井戸だと言われています。謀反を企てる家臣のもとへ女中として送られた忠臣の愛妾・お菊。陰謀を暴くものの、謀反が起こりました。その後も女中を勤めながら城から逃れた忠臣に情報を送り続けていると、家臣の家来にそのことを盾に結婚を迫られてしまいます。断り続けるお菊に腹を立てた家来は、家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末であるとします。責め殺されたお菊はこの井戸に投げ込まれました。以来、夜になると井戸から「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の声が聞こえるようになったといいます。その後、忠臣らによって謀反の首謀者は倒され、主君は復権。お菊は市内にある十二所神社の境内にある社に祀られました。

とても深そうでござる!
黒田官兵衛は今でも大人気です!

「戦国の軍師・官兵衛ゆかりの城」

官兵衛の祖父の代から姫路に暮らしていた黒田家。播磨の有力豪族である小寺氏の家臣となってからは、姫路城の城代を任されていました。聡明だった官兵衛は、わずか16歳で側近に取り立てられ、22歳には家老となります。

そして慧眼を持つ官兵衛は、毛利と織田の対立が深まると織田方につくよう進言。以降、羽柴秀吉らと織田に仕えます。そして、毛利討伐に向かう羽柴秀吉に、地理的に重要な姫路城を譲り、秀吉が亡くなるまで忠臣として仕え、天下人への歩みを助けました。
秀吉亡きあとは徳川家康からも評価され、息子・長政と共に家康に仕え、穏やかな晩年を経て生涯を閉じたのです。

官兵衛ゆかり(?)の十字紋
官兵衛ゆかり(?)の十字紋

「お夏清十郎の悲恋の舞台となった城下町」

浄瑠璃でおなじみのお夏清十郎の悲恋は、1662(寛文2)年、姫路城下で
実際に起きた駆け落ち事件が元となっています。
大商店の娘・お夏は手代として奉公している清十郎と想い合うようになります。しかし、二人の恋が許される訳もなく、思い余って駆け落ちしますが、すぐさま捕えられた二人。清十郎はかどわかしの罪と共に、お店の金を持ち逃げしたという濡れ衣まで着せられてしまい、25歳という若さで打ち首にされてしまいました。

残されたお夏は発狂してしまい、清十郎の姿を探して行方知れずとなったのです。この悲恋話は井原西鶴、近松門左衛門といった作家たちによって、歌舞伎や人形浄瑠璃の作品とされ人々に愛されました。
現在、姫路城北東の慶雲寺にはお夏と清十郎のお墓があり、毎年8月9日に慰霊祭が行なわれています。

姫路城より北東の方角に2人は眠っています。
姫路城より北東の方角に
2人は眠っています。
姫路城はいろいろな人達の人生を長い間見て来たのでござるな。
恋愛が自由にできなかった時代でした。

04 姫路城を訪れたなら、お見逃しなく!必ず押さえたい魅力のポイント

城郭として、日本建築の最高峰として、世界中から人々が訪れる姫路城。その見どころは豊富で、一日では満喫しきれない程です。その中からいくつかをご紹介しましょう。

「敵の侵入を阻止せよ!~狭間」

本来は2,500~4,000ヵ所程あったのでは?とも言われている姫路城の狭間。狭間とは、城郭や天守の壁面や塀に空けてある穴のことで、ここから武器を使って敵の侵入を阻止します。形状も丸や三角、四角と様々で、使用する武器に応じて変形しています。姫路城には四種の狭間が計997ヵ所に残っています。

「“りの一渡櫓”の鯱瓦は必見!~鯱瓦展示」

尾ひれを空に向けた鯱。頭は虎のようで、尾ひれはとげという想像上の生き物は、大棟の両端に守り神として取り付けられているものですが、通常は「阿吽」の雌雄一対です。
昭和の大修理の際、西側大千鳥破風に掲げられていた1687(貞享4)年の銘のある鯱瓦を見本として作り直したものを掲げました。しかし、修理前の姫路城には口を閉じたものしか残っておらず、それを見本として新たな鯱瓦を造ったため、現在掲げられている11尾すべてが口を閉じているのです…つまり雌ばかり。「りの一渡櫓」には昭和の大修理で取り替えられた鯱瓦が展示されているので、確認してみましょう。

「見どころ豊富!地上6階地下1階の大天守」

あくまでも軍事施設であった天守には随所に敵を攻撃するためのしつらいが施されています。通常城主は、城内の他の建物で生活をしており、天守には武士が詰めているもの。もし敵が侵入した際に、早々に攻撃し、追い出さなければならないためです。
姫路城にはそのための通行しにくい通路、通りにくい門などが設けられていますが、天守にもたくさんの仕掛けが施されています。

武具庫
武具庫
詰めている武士たちは、いざという際には武器を手に。
階段
階段
6階建ともなれば階段の数も豊富です。
武者隠し
武者隠し
ここに武士が隠れていて攻撃します。
武具掛け
武具掛け
武器の保管場所は所々にあります。
石落し
石落し
壁際には天守の壁を上がってくる敵を鉄砲などで撃退。
武者走り
武者走り
天守の各層には外壁内側に、こうした通路があります。
石打棚
窓際に設けられた棚は外の敵を
攻撃するときにも使われました。
これらの仕掛けが荘厳堅牢と言われた所以でござるな!

「たくさんの城主が残したサイン~家紋」

城内には随所に歴代城主の残したサイン=家紋があります。普請をした際、城主たちは自らの家紋を取り付けたのです。しかし、中には普請や修繕を行なわず、家紋のみ加えた城主もいました。散策しながら探してみると、ゲーム感覚で楽しめそうですね。

本多家 家紋「三葉立葵」
本多家 家紋「三葉立葵」
(真ん中)池田家 家紋「揚羽蝶」(両端)羽柴家 家紋「五三桐」
(真ん中)池田家 家紋「揚羽蝶」
(両端)羽柴家 家紋「五三桐」
黄昏時の白鷺城もまた美しい!
黄昏時の白鷺城もまた美しい!
たくさんの魅力を知って、今日からわしも姫路城通でござる!

05 まだまだあるよ!姫路城のお話

姫路城にまつわる様々な話をしろまるひめに解説してもらうでござる!

「数字で見る姫路城」

築城から400年、美しい姿を残しています!

「自害した棟梁の無念」

時は池田輝政の治世。姫路城の築城を請け負った大工の棟梁は、
一世一代の大仕事に寝食を忘れて取り組みました。落成間近、というときに、妻を連れて見回ると、妻は天守が巽(東南)に傾いていると言うではありませんか。驚き見上げた棟梁は、素人にも一瞥で分かるようなミスをしてしまったと悔い、思い余って最上階から飛び降りてしまいました。確かに、後世に城の傾きが確認されましたが、実はこれは地盤沈下によるもの。棟梁の伝説が本当だったとしたら…やるせないですね。

「他にもあった?移動していた『お菊井戸』」

浄瑠璃にも仕立てられ、現在でもよく知られる「播州皿屋敷」でお菊が投げ込まれたとされるお菊井戸ですが、実は他にも「ここがお菊井戸です!」とされていた井戸がありました。
酒井家が藩主であった時代には、城の東にあった「馬場の井戸」が、明治初期には十二所神社境内にある井戸が「お菊井戸である」と言われていたそうです。

1,598点の公募の中から選ばれました!

「まっしろなマスコット・しろまるひめをおみやげに!」

姫路市制120周年、姫路城築城400周年、姫路港開港50周年の3つを記念して、姫路市が公募、決定したキャラクターです。白鷺城を象徴する真っ白な肌のかわいい女の子「しろまるひめ」が大活躍!おみやげにグッズを選んでみてはいかがでしょう。HPではPRソングや壁紙、ペーパークラフト(DLデータ)などが公開されています。http://www.shiromaruhime.jp/

ペーパークラフト
ペーパークラフト
おみやげ
おみやげ
拙者もしろまるひめのおみやげを買って帰るでござる!

06 お城だけじゃない、姫路の魅力的なスポットが周辺に目白押し!

池泉回遊式の日本庭園と再現された遺構。
原生林に囲まれた安らぎの空間です。

「姫路城西お屋敷跡庭園 好古園」

姫路城の南西に位置する「好古園」は1992(平成4)年に造営された池泉回遊式の日本庭園です。武家屋敷跡などの遺構を活かし、市制100周年を記念して開設されました。約1万坪(3.5ha)という広い庭園内には、9つの庭園や本格的数奇屋建築の茶室、双樹庵のある「茶の庭」などが点在します。また、時代劇や大河ドラマのロケ地としてもしばしば使われています。

  • 姫路市本町68(姫路城西隣)
  • 開 園:9~17時(4月27日~8月31日は18時まで・入園は16時30分まで)
  • 休園日:12月29・30日
  • 入園料:大人300円、小学生・中学生・高校生150円
  • (姫路城・好古園共通入場券大人1,040円、小人360円)
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映画「るろうに剣心」の撮影でも使われました!

三の丸広場の東側に隣接。
お城の見える動物園です。

「姫路市立動物園」

姫路城に隣接した動物園には、約110種・約370点の動物を飼育展示。ゾウやライオンといった大型動物の展示の他、モルモットやヤギなどの小動物と触れ合えるコーナーもありますので、ゆっくり楽しめます。

  • 姫路市本町68(姫路城東隣)
  • 開 園:9~17時(入園は30分前まで)
  • 休園日:12月29日~1月1日
  • 入園料:大人200円、5歳~中学3年生30円
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1951年12月1日に開園しました。

懐かしさを感じさせる赤いレンガが目印

「姫路市立美術館」

姫路城とは対照的、シックな赤レンガで落ち着いた佇まいの美術館です。明治時代の建物(旧陸軍の兵器庫・被服庫)を保存活用したもので、夜間は、お城と共にライトアップされ、美しい景観を誇っています。ポール・デルヴォーをはじめとするベルギー美術、姫路にゆかりのある作家たちの作品を収蔵する他、企画展も随時開催されています。

  • 姫路市本町68-25
  • 開 館:9~17時(入館は30分前まで)
  • 休館日:月曜日(祝日の場合翌日)、年末年始
  • ※臨時休館の場合がありますので事前にHPでチェックして下さい。
  • 入館料:大人200円、大学生・高校生150円、中学生100円 ※特別展は別料金
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元々は姫路陸軍の倉庫でした。

郷土についてじっくり学べる。
体験コーナーも人気!

「兵庫県立歴史博物館」

郷土の歴史に関する県民の理解を深めてもらうことを目的とする歴史博物館。「兵庫の歴史」と「城と城下町」をテーマとした常設展示を中心に、兵庫県の歴史・文化・民俗・産業を紹介したビデオライブラリー、土器や銅鏡などに触れたり、甲冑や十二単を着ることができる体験コーナーなどが揃っています。

  • 姫路市本町68
  • 開 館:9~17時(入館は16時30分まで)
  • 休館日:月曜日(祝日の場合翌日)、年末年始
  • 入館料:一般210円、大学生150円、高校生100円、小・中学生無料
  • ※特別展は別料金
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近代建築家丹下健三により現代の城をイメージして設計されました。

城郭について学ぶひととき

「日本城郭研究センター・城内図書館」

姫路城の北東、1990(平成2)年に開設された日本城郭研究センターは、国内外の城郭の総合的な調査研究を目的とする「城郭研究室」と中央図書館機能を持つ「城内図書館」からなるユニークな複合施設。同時通訳システムを備えた会議室や城郭資料文献を収蔵する施設を配する他、図書館情報システムの採用など多数の機能を備えています。

  • 姫路市本町68-258(1階:図書館、2階:研究センター)
  • 開 館:[研究センター] 9~12時・13~17時
    [図書館] 10~19時(7月1日~3月31日は9時30分~)
  • 休館日:[研究センター] 土日・祝日・年末年始・
    その他(HPをご確認下さい)
    [図書館] 月曜日、毎月第3木曜日(館内整理日)、
    国民の祝日、年末年始(12月28日~1月4日)
    春季資料手入期間(毎年3月に約10日間)
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城郭を題材とした「市民セミナー」を定期的に開催しています。
今回協力して下さったのは・・・姫路市観光振興課、(公社)姫路観光コンベンションビューロー姫路フィルムコミッション姫路城管理事務所

姫路城に関して、詳細に教えて下さったのは姫路市観光振興課、(公社)姫路観光コンベンションビューロー姫路フィルムコミッション、姫路城管理事務所の方々。大修理を経て、鮮やかに、そして雄大に佇む姫路城の魅力と不思議の数々を丁寧に紹介して下さいました。

詳しくは「施設検索/ホームメイト・リサーチ」をご覧下さい!

武家文化を象徴する日本の城。姫路城
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荘厳堅牢、武家文化を象徴する日本の城。写真集

見ているだけで楽しくなる写真がいっぱい!

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姫路城以外にも日本には名城がたくさんあるでござる!
各種多様、日本の名城は他にもいっぱい!各地の名城をご紹介!
地の利を活かした城郭造り、歴史が守り継いだ威風堂々の城郭たち

規模や形式は各地の特徴を映しています。
また、その地の文化や歴史が反映され、今にその姿を伝える城郭たち。
戦禍を生き延び、人々に親しまれ、現代まで修復を重ねながら遺されてきた
個性あふれる城が全国各地にあり、多くの観光客が訪れています。

熊本城 重要文化財 熊本県

築城の名手、加藤清正の代表的遺構

日本三名城のひとつであり、「銀杏城」の別名を持つ熊本城は築城の名手として知られた加藤清正が現在の形へと築城。城郭の広さは約98万平方メートルで、大名の城としては日本一とも言われる大規模なもの。1601(慶長6)年から7年の歳月を費やして築城され、独特な建築技術が用いられており、国の特別史跡として指定されている他、櫓や門、塀は重要文化財となっています。2016(平成28)年4月の熊本地震により甚大な被害を受け、現在公開が中止、閉鎖されています。城と被災地の復興が多くの人々より祈念されています。

「写真提供/熊本県」
※右の写真はいずれも震災前の撮影となります

所在地:熊本市中央区本丸1-1
※現在、公開・見学は中止されています。詳しくは下記・熊本城ホームページでご確認下さい。
http://wakuwaku-kumamoto.com/castle/

詳しくは施設の詳細
ページをご覧下さい!

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1日も早い復旧が待たれるでござる!

大阪城 重要文化財 大阪府

徳川幕府によって再築された大坂城

1583(天正11)年、豊臣秀吉により築城され「金城」とも呼ばれる大坂城は、1614(慶長19)年の大坂夏の陣で豊臣家が滅ぼされると共に焼失しました。そのあと、天下統一を果たした徳川幕府により、跡地に盛り土をした上に再築工事が行なわれました。しかし、1665(寛文5)年には落雷により天守が焼失し、以降は天守を持たない城となっていました。現在の天守閣は、1931(昭和6)年に復興された鉄筋コンクリート製のもので、登録有形文化財に指定されています。

「写真提供/©(公財)大阪観光局」

  • 大阪城天守閣所在地:大阪市中央区大阪城1番1号
  • 天守閣開館時間:9~17時(入館は閉館の30分前まで)
    ※季節により閉館時間延長あり
  • 休館日:12月28日~1月1日
  • 入館料:大人600円・中学生以下無料(中学生は要証明)
  • 2015年の人出:約233万人

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日本三名城に数えられるでござる!

名古屋城 重要文化財 愛知県

本丸御殿を復元中!徳川家康の命による築城

江戸幕府開府後の1609(慶長14)年、天下統一最後の布石として、大坂方に対する最重要拠点として、徳川家康は名古屋城の築城を命じます。以降、代々尾張徳川家が城主を務めてきました。大小天守閣と櫓や門、本丸御殿などは第二次世界大戦中、1945(昭和20)年の名古屋大空襲で焼失、戦後に天守閣が再建されました。そして2009(平成21)年より本丸御殿の復元工事を開始、順次第一期として2013(平成25)年5月から「玄関」・「表書院」等が、第二期として2016(平成28)年6月から「対面所」・「下御膳所」等が公開されています。[2018(平成30)年全体公開予定]

「写真提供/(公財)名古屋観光コンベンションビューロー」

  • 所在地:名古屋市中区本丸1-1
  • 開園時間:9~16時30分(天守閣・本丸御殿の入館は
    16時まで)
  • 休園日:12月29日~1月1日
  • 観覧料:大人500円・中学生以下無料
  • 2015年の人出:約173万人

詳しくは施設の詳細
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家康が9男のために築城したでござる!

松本城 国宝 長野県

アルプスを背景に、白と黒のコントラストが鮮やかな名城

大天守と乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟からなる連結複合式天守で、この形式は松本城だけに見られるものであり、12ある現存天守の中で唯一の平城です。また、現存する五重六階の天守の中では最古のもので、国宝に指定されています。松本城を近世の城郭へと整えたのは、豊臣秀吉の命により松本城主となった石川数正・康長父子であり、冬、雪が降り積もり一面雪景色となる季節、遠景に北アルプスを配した黒い松本城は、そのコントラストもさることなら、重厚感にあふれた勇姿で佇みます。

「写真提供/長野観光機構」

  • 所在地:松本市丸の内4番1号
  • 開場時間:通常 8時30分~17時(最終入場は16時30分)
    ※GW、夏季、年始は変更となります。
    詳しくは松本城管理事務所までお問合せ下さい。
    (TEL:0263-32-2902)
  • 休館日:12月29~31日
  • 入館料:大人610円・小・中学生300円
  • 2015年の本丸庭園入場者:約94万人

詳しくは施設の詳細
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松本城も現存天守のひとつでござる!

首里城(首里城公園) 世界遺産 沖縄県

蘇る琉球王国の城郭

第二次世界大戦前まで、那覇港を見下ろす丘陵地には琉球王国の王城・首里城がありました。しかし、沖縄戦や琉球大学の建設により、ほとんどが破壊されてしまい、城壁や一部の建物が残るのみとなりました。その後、1980年代末より、本格的な復元工事が開始され、1992(平成4)年には正殿などを復元。他にも、公園内には城跡をはじめ、多くの文化財が点在しています。城跡は現在公園とされ、今も整備が行なわれています。そして、2000(平成12)年には「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」として首里城跡が世界遺産に登録されたのです。

「写真提供/首里城公園」
(上から首里城正殿、守礼門、書院・鎖之間と庭園)

  • 所在地:那覇市首里金城町1-2
  • 開館時間:4月~6月 8時30分~19時
    7月~9月 8時30分~20時
    10月・11月 8時30分~19時
    12月~3月 8時30分~18時
    ※入館券販売締切は閉館30分前まで
  • 休館日:7月の第一水曜日とその翌日
    (有料区域内施設と首里杜館)
  • 入館料:大人820円・高校生620円・小・中学生310円
    ・6歳未満無料
  • 2015年の人出:約267万人

詳しくは施設の詳細
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都市景観100選にも選ばれたでござる!

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